80年前の1945年2月19日、「硫黄島の戦い」が始まった。なぜ日本軍の戦死者2万人のうち1万人が行方不明なのか、硫黄島で何が起きていたのか。
民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が13刷ベストセラーとなっている。
ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。
世界でも唯一無二の全島疎開が続く島
米軍の核の時代を経て、現在も続く硫黄島の自衛隊支配──。この現状を問題視し、精力的に発信し続ける研究者の一人に、明治学院大学の石原俊教授がいる。小笠原諸島の近現代史研究の第一人者だ。
僕の硫黄島取材は、石原氏が著書『硫黄島 国策に翻弄された130年』(中公新書)を出版した2019年以前と以後では大きく変わる。以前は遺骨問題ばかりに向けてきた僕の探究は、同著との出会いによって島民未帰還問題にも広がることになった。
石原氏によると、戦局悪化に伴う国の疎開命令により、本土疎開を強いられた島民1000人超の戦後は、次のような経過を辿った。
小笠原諸島の施政権の返還後、父島と母島の旧島民は帰島を認められた一方で、硫黄島の旧島民は許可されなかった。硫黄島の旧島民たちは1969年、硫黄島帰島促進協議会を結成し、国に再居住を求める運動を本格化した。
しかし、国は翌1970年、その要求を無視して、硫黄島の復興の実施を除外した小笠原諸島復興計画(後に振興計画に名称変更)を決定した。帰島運動は一世の高齢化に伴い、次第に下火になっていった。
そんな中で迎えた1984年、国土庁の審議会は火山活動などを理由に「硫黄島での一般住民の居住は困難である」との答申を出した。これにより国は同計画の延長を決定。先の大戦での全島疎開が解除されない、世界でも無二とされる異常な状態は、現在もなお続いている。