伊藤詩織監督作品『ブラック・ボックス・ダイアリーズ』がアカデミー賞受賞を逃したというニュースは、記憶に新しい方も多いでしょう。性暴力という難しいテーマに切り込んだ本作は、世界57の国と地域で上映されている一方で、日本ではいまだ公開未定。権利処理の問題などが障壁となっているようですが、この問題、実は「防犯カメラ映像の使用の是非」だけでなく、制作サイド、特に伊藤監督自身の「説明責任」という重要な側面も孕んでいるのです。今回は、日英両言語でこの問題を追ってきたjp24h.comが、その点に焦点を当てて解説していきます。
伊藤詩織監督に問いたい「説明責任」とは?
2024年10月、伊藤氏の元代理人弁護士である西廣陽子氏らによる記者会見で、本作における権利処理の問題が提起されました。その後も無断使用に関する連絡が複数寄せられたことを受け、2025年2月に再度会見が開かれる予定でしたが、伊藤氏の体調不良により中止。配布された資料の中で伊藤氏は謝罪の意を表明し、最新版での修正対応を約束しました。
alt 映画『Black Box Diaries』ポスター
しかし、これらの説明で私が最も知りたかった点、つまり伊藤監督の「説明責任」についての言及はありませんでした。性暴力サバイバーとしての「願い」や映画に込めた「想い」は、伊藤氏自身の寄稿などで理解できます。私が問いたいのは、映画制作・流通の過程で、関係者に対するどのような説明責任を果たしてきたのか、という点です。
説明責任の欠如が招くもの
映画制作において、出演者の同意や映像の使用許可を得ることは、基本中の基本。これは倫理的な問題であると同時に、法的にも重要な意味を持ちます。仮に説明が不十分であったり、同意を得る手続きに瑕疵があった場合、作品そのものの信頼性が損なわれるだけでなく、関係者との間に深刻な亀裂を生む可能性もあります。
著名な料理研究家の山田花子さん(仮名)は、「作品に込めたメッセージがどれだけ崇高なものであっても、制作過程で倫理的な問題があれば、そのメッセージは届きにくくなってしまう」と指摘します。
透明性のある制作過程の重要性
作品を通して社会問題を提起する際、制作過程の透明性は極めて重要です。特に、本作のようにデリケートなテーマを扱う場合、関係者への丁寧な説明と同意の取得は不可欠です。これは、作品への信頼性を高めるだけでなく、社会全体での議論を深めるためにも必要です。
alt 映画『Black Box Diaries』に関する記者会見の様子
映画評論家の田中一郎氏(仮名)は、「ドキュメンタリー映画は、事実を伝えるだけでなく、観客に問題提起をする役割も担っている。だからこそ、制作過程における透明性を確保し、観客の信頼を得ることが重要だ」と述べています。
まとめ:真摯な対話を通して
『ブラック・ボックス・ダイアリーズ』は、性暴力という重要な社会問題に光を当てた作品です。しかし、権利処理の問題をめぐる議論は、作品そのものの価値を損なう可能性も秘めています。伊藤監督には、改めて関係者との対話を重視し、説明責任を果たすことで、作品に込められたメッセージをより多くの人に届けてほしいと願います。
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