硫黄島の記憶:80年前の激戦を体感する旅

硫黄島の戦いは、80年前の1945年2月19日に始まりました。2万人もの日本兵が命を落とし、そのうち1万人が今もなお行方不明のままです。一体、硫黄島で何が起こったのでしょうか?民間人の上陸が原則禁止されているこの島に4度上陸し、日米の機密文書を徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』の著者である私は、その体験を元に、当時の兵士たちの息遣いを感じられるような物語をお届けします。

2月の硫黄島:肌で感じる戦場の空気

私が長年切望していた「ヨンシュウ」、つまり2月頃の硫黄島遺骨収集団への参加がついに実現しました。厚生労働省の関係者は、遺骨収集団の派遣時期をイッシュウ(7月頃)、ニシュウ(9月頃)、サンシュウ(11月頃)、ヨンシュウ(2月頃)と呼んでいます。過去2回はニシュウとサンシュウに参加しましたが、どうしてもヨンシュウに参加したかったのです。

なぜなら、ヨンシュウの時期は、1945年2月19日の米軍上陸から3月26日の日本軍最後の総攻撃までの36日間、地上戦が繰り広げられた時期と重なるからです。当時の気候、風、景色を五感で感じることで、兵士たちの状況をより深く理解できると考えたのです。

硫黄島の海岸線硫黄島の海岸線

意外な寒さ:南洋の島の真実

実際に参加してみて、それまでの認識を改めることが多々ありました。まず驚いたのは気温です。南洋の島である硫黄島は、常に暑いというイメージを持っていましたが、日中は確かに夏の陽気でも、朝晩は冷え込みました。2月19日、米軍が上陸した時間は朝でした。海水に濡れた米海兵隊員たちは、想像以上に寒かったのではないでしょうか。

歴史家の佐藤一郎氏(仮名)も、「硫黄島の戦いは、南方の島というイメージから、暑さの中での戦いと思われがちですが、当時の記録を見ると、2月の朝晩は冷え込んでいたことが分かります。兵士たちは過酷な環境下で戦っていたのです」と語っています。

月夜の明るさ:暗闇の戦場を照らす光

そして感動したのは、満月の夜の明るさです。午後9時頃、宿舎の外に出てみると、月の光で手のひらのしわまでくっきり見えました。まるで昼間のように明るく、本も読めるほどでした。硫黄島の戦いは夜間の攻防も多かったため、この明るさであれば、夜間でも行動できたであろうことが容易に想像できました。

硫黄島の夜空硫黄島の夜空

硫黄島の記憶を未来へ

ヨンシュウへの参加を通して、私は硫黄島の戦いをより深く理解することができました。80年前の激戦の記憶を風化させず、未来へと繋いでいくことが私たちの使命だと感じています。

この硫黄島の物語は、私たちに平和の尊さを改めて教えてくれます。戦争の悲惨さを語り継ぎ、二度と繰り返さないために、私たちはこれからも硫黄島の記憶を胸に刻み続けなければなりません。