戦後80年、北朝鮮からの引き揚げ体験:93歳祖母の記憶と思いを紐解く

日本にとって2025年は戦後80年という節目の年です。今回は、北朝鮮で生まれ育ち、敗戦後、引き揚げ船で日本へ帰還した93歳の児玉千恵子さんの体験談を通して、戦争の記憶と平和の尊さについて改めて考えてみたいと思います。

平和な日々、そして突然の終戦

北朝鮮での幼少期

児玉千恵子さんは1931年、北朝鮮で生まれました。当時、ご両親は朝鮮半島で生活しており、千恵子さんも9人兄弟の三女として、伸び伸びとした幼少期を過ごしました。宮崎県小林市に住む孫の児玉泰一郎アナウンサーは、幼い頃から彼女を「小林ばあちゃん」と呼び、深い愛情を注いでいました。

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女学校時代と変わらぬ友情

1941年、太平洋戦争が勃発。激化する戦況の中、千恵子さんは日本人と朝鮮人が共に学ぶ女学校に通っていました。そこでは国籍の違いを超えた友情が育まれ、日本人名の朝鮮人の友達と楽しい日々を過ごしていました。当時、日本人と朝鮮人の間には差別はなく、互いに尊重し合い、支え合う関係が築かれていたそうです。

敗戦の報と朝鮮人の反応

しかし、平和な日々は突然の終戦によって幕を閉じます。学校で敗戦を告げられた時、日本人生徒は驚きと戸惑いを隠せない中、一部の朝鮮人生徒は手を叩いて喜んでいたそうです。この光景は、千恵子さんの心に深く刻まれ、戦争の複雑さと人々の様々な思いを物語っています。

引き揚げ、そして平和への願い

緊迫の状況下での決断

終戦後、朝鮮半島は混乱に陥り、千恵子さんの家族も危険な状況に置かれました。曽祖母は、仕事のある曽祖父を朝鮮半島に残し、8人の子供たちを連れて日本へ引き揚げるという苦渋の決断を下します。曽祖母の残した手記には、「機関庫に朝鮮人が押しかけてくるから一同銃剣を持って守るよう指令」という記述があり、当時の緊迫した状況が伺えます。

平和への強い思い

93歳になった現在も、千恵子さんは戦争の悲惨さを語り継ぎ、平和の尊さを訴え続けています。「戦争はいかん」という彼女の力強い言葉は、私たちに深い感銘を与え、平和な世界の実現に向けて努力することの大切さを改めて教えてくれます。食卓を囲み、家族と過ごす何気ない日常の尊さを、千恵子さんの体験談を通して再認識させられます。

未来へ繋ぐ平和のメッセージ

千恵子さんの体験は、戦争の悲惨さと平和の尊さを改めて私たちに伝えてくれます。後世にこの貴重な記憶を語り継ぎ、平和な世界を築いていくことが私たちの使命と言えるでしょう。ぜひ、この機会に家族や友人と平和について語り合い、未来への希望を繋いでいきましょう。