昭和初期、日本は戦争へと突き進んでいく時代でした。1933年、昭和8年は、その後の日本を大きく変える転換点となった重要な年です。一体何が起こったのでしょうか?本記事では、五・一五事件を中心に、昭和8年の日本の変化を探ります。
五・一五事件:テロから生まれた「国民的英雄」
昭和7年5月15日、海軍の青年将校らと陸軍士官学校候補生、そして民間右翼団体が国家改造を目指し、首相官邸を襲撃、犬養毅首相を暗殺しました。これが五・一五事件です。本来ならばテロとして断罪されるべき事件でしたが、その後の裁判は異様な様相を呈しました。
涙の法廷:国民の同情を集めた被告たち
公開された軍法会議で、被告たちは「信念に基づいて行動した」と涙ながらに訴えました。その姿に、裁判官、検事、記者、そして傍聴人までもが涙したといいます。司法担当の記者は「こんな感激に満ちた公判は初めてだ」と書き残しました。
五・一五事件の裁判の様子
減刑嘆願運動の広がり:35万通を超える嘆願書
被告たちの減刑を求める嘆願運動は、全国的な広がりを見せました。35万通を超える嘆願書、そして被告と同じ11本の指が裁判所に届けられました。国民の同情は、被告たちを「純粋な動機」を持つ英雄へと祭り上げていくのです。
「動機が正しければ全て良し」という風潮の誕生
五・一五事件の裁判と減刑嘆願運動は、「動機が正しければ何をしても許される」という考え方を社会に植え付けました。純粋な情熱、無私の精神こそが最も尊いという価値観が蔓延し始めたのです。歴史学者である保阪正康氏も、この事件を「昭和史の大きな転換点」と指摘しています。(参考:保阪正康『昭和史 七つの謎』)
理性と知性の放棄:感情が支配する社会へ
保阪氏は、昭和8年から「理性や知性を放棄し、感情の発露のみが先行する社会」が始まったと分析しています。外国への恐怖と蔑視、そして軍事力こそが国家を支えるという歪んだ考え方が広まり、日本は戦争への道を突き進んでいくことになります。
首相官邸
昭和8年の教訓:感情に流されず、理性的に考えることの重要性
昭和8年の出来事は、私たちに重要な教訓を与えてくれます。それは、どんなに崇高な理想を掲げていても、感情に流されて理性的な思考を放棄すれば、取り返しのつかない結果を招くということです。現代社会においても、様々な問題に直面する中で、冷静に状況を分析し、理性に基づいた判断をすることが求められています。