志村けんさんの自宅解体、そして「志村けんの木」の行方…国民的コメディアンの記憶を辿る

志村けんさん。日本中を笑いの渦に巻き込んだ国民的コメディアンの訃報から5年が経とうとしています。今回は、解体工事が始まった志村さんの自宅と、東村山市にある「志村けんの木」の今後について、jp24h.comが独自取材を元に深く掘り下げていきます。

愛の巣と呼ばれた自宅、そして生涯独身を貫いた理由

東京都三鷹市の閑静な住宅街に佇んでいた志村さんの自宅。長らく空き家状態でしたが、ついに解体工事が始まりました。

志村けんさんの自宅解体工事の様子志村けんさんの自宅解体工事の様子

1987年に新築されたこの家は、当時交際していたタレント・井上摩美さんとの新居として報じられ、その後も女優・いしのようこさんとの半同棲がスクープされるなど、“愛の巣”として注目を集めてきました。関係者によると、志村さんは「結婚して子供が欲しい」「子供に『バカ殿』のメイクをさせて、番組で共演するのが夢」と語るなど、家庭への憧れを強く持っていたそうです。

しかし、志村さんは生涯独身を貫きました。その背景には、「おれは家族を持ってはいけない」という強い思いがあったといいます。芸能人の家族として、妻や子供に苦労をかけること、そして2004年に経験した自宅への空き巣被害も、家族を持つことへの不安を募らせた一因だったのかもしれません。

長兄・知之さんが自宅を相続、管理していましたが、知之さんの高齢化に伴い、今年1月に大手不動産会社に売却されました。解体工事は1ヶ月間の予定で進められています。

東村山市の「志村けんの木」、その未来は?

志村さんの出身地である東京都東村山市。東村山駅の駅前広場には、1976年に志村さんの功績を称えて植樹された3本のけやき、「志村けんの木」があります。長年、市民に愛されてきたこの木ですが、駅前広場の再整備に伴い、移植もしくは伐採が検討されているといいます。

東村山駅前にある「志村けんの木」東村山駅前にある「志村けんの木」

市役所関係者によると、仮に移植となっても3本すべてを移すことは難しく、1本のみの移植となる見込みで、残りの2本は伐採される可能性が高いとのこと。 「志村けんの木」の今後については、市民の間でも様々な意見が出ているようです。 例えば、樹木医の山田一郎さん(仮名)は「可能な限り、3本すべてを保存する方法を模索すべきだ」と語っています。

志村さんの自宅、そして「志村けんの木」。いずれも志村さんの人生を語る上で欠かせない存在です。これらの変化は、私たちに改めて志村さんの偉業と、彼が私たちに残してくれた大きな影響を思い起こさせます。

国民的コメディアンの記憶を未来へ

志村けんさんという偉大なコメディアンの記憶を、私たちはどのように未来へ繋いでいくべきでしょうか。自宅の解体、そして「志村けんの木」の行方は、私たちにその問いを投げかけているのかもしれません。