大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」で江戸時代の吉原遊郭が注目を集めていますが、今回は明治・大正時代の吉原、そして現代に残るその痕跡を辿りながら、遊廓の歴史とその光と影に迫ります。遊女たちの過酷な運命、そして力強く生き抜いた女性たちの物語に触れ、歴史の重みを感じていただければと思います。
廃娼運動と自由廃業:力強く生きた女性たち
明治維新後、「芸娼妓解放令」が出されましたが、遊女たちの境遇は依然として厳しいものでした。しかし、彼女たちはただ耐え忍んでいたわけではありません。大正時代には廃娼運動が活発化し、労働運動との結びつきも強まり、「自由廃業」を選ぶ女性たちも現れました。光子という女性もその一人。19歳で遊女となり、21歳で足抜けを果たした彼女の物語は、当時の女性たちの力強い生き様を象徴しています。
浄閑寺:遊女たちの魂の安息の地
東京・三ノ輪にある浄閑寺は、「遊女の投げ込み寺」として知られています。劣悪な環境で命を落とした、身寄りのない遊女たちがこの地に葬られました。数十冊の過去帳には、江戸から大正期にかけての遊女やその子供たちの名前が記されています。境内にある「新吉原総霊塔」には、「生れては苦界死しては浄閑寺花酔」という川柳が刻まれ、今もなお、訪れる人々によって丁寧に供養されています。
浄閑寺にある遊女の慰霊碑。花が供えられ、今もなお弔われている様子がわかる。
新吉原遊廓:歴史の舞台を歩く
かつて新吉原遊廓があった場所には、今もなお歴史の痕跡が残されています。老舗天ぷら屋「土手の伊勢屋」は、明治22年創業。遊廓で働く人々や客で賑わい、24時間営業していたという歴史を持ちます。関東大震災や東京大空襲を乗り越え、国の登録有形文化財に指定されているその姿は、時代の変遷を見守ってきた証人と言えるでしょう。
見返り柳:名残惜しさに振り返る場所
遊廓の入口付近には、「見返り柳」と呼ばれる柳の木がありました。客が帰り際、名残惜しさに振り返ったことからその名がついたと言われています。樋口一葉の小説『たけくらべ』にも登場するこの柳は、遊廓の象徴的な存在でした。現在も、その場所に植えられた柳の木が、当時の面影を偲ばせます。
関東大震災前の吉原遊郭。賑やかな街の様子が伺える。
現代へのメッセージ:歴史から学ぶこと
吉原遊廓の歴史は、私たちに多くのことを問いかけます。女性たちの過酷な運命、そして力強く生き抜いた彼女たちの姿。現代社会においても、様々な困難に直面する人々がいます。歴史から学び、誰もが安心して暮らせる社会の実現に向けて、私たち一人ひとりができることを考えていく必要があるのではないでしょうか。