〈地下鉄サリン事件から30年〉当日朝の“一部始終”「痙攣を起こしていたり、泡を吹いたり…」「瞳孔がピンホールのように小さい」


【画像】地下鉄駅構内から運び出される乗客の様子

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鳴りやまない救急車のサイレンが…

 私は係長として、毒物や薬物の鑑定と検査を担当していた。白衣に着替え、仕事に取りかかる準備をしていると、救急車のサイレンが聞こえ始めた。この時間の霞が関では珍しい。「どこかの役所で急病人でも出たのかな」と思った。ところが、サイレンの音は鳴りやまないどころか、数がどんどん増えていく。時計を見ると、8時20分前後だった。

 これは普通じゃない。何かが起こっていると感じ、科捜研の庶務にある警察無線・同時通報を聴きに行った。

「地下鉄の築地駅構内で、人がたくさん倒れている」

「小伝馬町駅で、多数の人が倒れている」

「人形町駅、八丁堀駅、霞ケ関駅でも同様」

「築地駅に停車中の車両内で異臭」

 情報は錯綜していた。

 直感的に「来る」と思った。科捜研に、緊急鑑定が持ち込まれるのである。

 地下鉄の車両や駅構内で、多数の人が同時に体調を崩している。半密閉空間という状況から考えると、ガス化する何かの毒物が発生しているに違いない。違和感を覚えたのは、いくつもの場所から同じような状況が報告されていることだ。広域かつ同時に起こっているとすれば、人為的な原因である可能性が出てくる。

 ふと、前の年に佐藤英彦刑事部長(後に警察庁長官)からかけられた言葉が蘇った。

「服藤君。もし東京都心でサリンが撒かれたら、すぐに対応できるようにしておいてくださいね」

 前の年、つまり平成6年6月27日、長野県松本市の住宅街で猛毒の化学兵器サリンが撒かれ、死者8人、重軽傷者約600人の被害が出た。犯人は、まだ捕まっていなかった。警察庁の科学警察研究所(科警研)が分析を担当したが、毒物が国内で初めて使われたサリンだったため、突き止めるのに苦労した話を聞いていた。



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