地下鉄構内で、うぐいす色の制服の内側は汗ばんでいた。
担架代わりに電車内の座席を外し、痙攣して倒れた乗客を乗せた。話しかけても反応はない。
そばにいた駅員に声を掛け、協力して持ち上げ、一目散に出口へと向かった。地上へと続く数十段の階段が長く感じ、もどかしかった。
登り切った先に広がった光景に、言葉を失った。
築地本願寺前の広い都道には、数え切れない人が倒れたり座り込んだりしていた。救急車や消防車のランプが明滅し、救急隊員が人々の隙間をぬうように走り回っていた。
言葉が出なかった。でも、まだやるべきことがあった。きびすを返し、再び階段を駆け降りていった――。
突如押された「非常通報ボタン」
1995年3月20日は、天気の良い朝だった。
帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現・東京メトロ)日比谷線の運転士、園田直紀(当時30・仮名)は両親と弟妹と暮らす実家を早朝に出て、電車で職場のある南千住駅へ向かった。
幼い頃から憧れていた運転士になって9年目。職場で、うぐいす色の制服に袖を通すと身が引き締まった。
その日の業務は、北千住―中目黒駅間を結ぶ日比谷線を3往復する予定だった。午前7時40分ごろに北千住駅で乗務開始。いつも通りの一日が始まる、と思っていた。
異変は、その直後に起こった。
午前8時ごろ、運転席の運転台にある赤いランプが点り、警報音が鳴った。
第3車両で非常通報ボタンが押されたことを示していた。
「体調不良の乗客でも出たのだろうか」
8両編成の電車の最後尾にいた車掌と無線で通信し、指令所に報告を入れてもらった。
指令所からは、次の停車駅の築地駅で停車するよう指示された。車掌と話し合い、第3車両に比較的近かった自身が様子を見に行くことになった。
意識を失い、痙攣する乗客ら
「やけに人が少ないな」
通勤ラッシュの時間帯なのに、ホームにはほとんど人がいなかった。いつもなら乗客がひしめいているはず。運転席を出ると、違和感を覚えつつ、小走りでホームを走った。
第3車両の最寄りの入り口に飛び込むと、乗客は2人のみだった。
入り口のすぐ正面の座席で、男性が天を仰ぐように座っていた。
「どうされましたか」
応答はない。かすかに痙攣し、口元に唾液が泡のように固まっているのが見えた。
車両の中ほどに座っていた、もう一人の男性客も同じ状況だった。
すぐさま、何か異常事態が発生していると察した。