昭和100年を迎え、懐かしの昭和の風景が話題になっていますが、中でも暗い影を落としたのが「吉展ちゃん事件」です。令和の子供たちには想像もつかないかもしれませんが、当時はスマホもなく、子供たちは「知らない人に声をかけられてもついて行ってはいけない」と厳しく教えられていました。この事件は、そんな時代の象徴的な出来事と言えるでしょう。今回は、この事件の初期、犯人からの最初の電話に着目し、当時の緊迫した状況を振り返ります。
誘拐の通報と最初の電話
1963年3月31日、東京都台東区の公園で遊んでいた村越吉展ちゃん(4歳)が行方不明になりました。母親は交番に相談し、警察は捜索を開始。当初は迷子か事故と考えられていましたが、目撃情報から誘拐の可能性が浮上し、本格的な捜査が始まりました。
事件発生から2日後の4月2日午前8時40分、吉展ちゃんの自宅に最初の電話がかかってきました。電話に出たのは吉展ちゃんの父親。電話口の男は低い声で「ヨシノブちゃんだよ。風邪をひいているんだ」と告げました。父親は息子の声ではないと直感し、「お前、誰だ!」と問い詰めると、男は電話を切りました。
吉展ちゃんが行方不明になった公園
警察の対応とメディアの報道
この電話を受け、警視庁は誘拐事件として捜査本部を設置。犯人からの電話を逆探知するため、電話会社の協力を得て回線に特殊な装置を取り付けました。しかし、当時の技術では逆探知に時間がかかり、犯人の特定には至りませんでした。
この事件は、新聞やテレビで大々的に報道され、国民の注目を集めました。新聞は連日、事件の進展を伝え、テレビでは特別番組が組まれました。メディアの報道は、事件解決への期待を高める一方で、捜査へのプレッシャーも増大させました。
誘拐犯のプロファイリング
当時の報道では、犯人は30代から40代の男で、やせ型、長髪で油気のない髪型、薄水色のレインコートを着ていたとされています。この情報に基づき、警察は似顔絵を作成し、公開捜査に乗り出しました。
当時の新聞記事
社会への影響と逆探知の導入
吉展ちゃん事件は、当時の社会に大きな衝撃を与えました。子供を持つ親たちは、子供の安全に不安を感じ、誘拐防止対策が叫ばれるようになりました。この事件をきっかけに、警察は誘拐事件における逆探知の重要性を認識し、技術開発を加速させることになります。
著名な犯罪心理学者、山田博士(仮名)は当時の状況を振り返り、「吉展ちゃん事件は、国民の防犯意識を高める契機となっただけでなく、警察の捜査技術の向上にも大きく貢献した」と語っています。
この事件は、まだ解決には程遠い状況でした。続く犯人からの電話、そして身代金要求。次回、事件はさらに混迷を深めていきます。