ウクライナ侵攻開始直後、ロシア軍に占領され、多くの民間人が犠牲となったキーウ近郊のブチャ。その解放から3年を迎えた2026年3月30日、市内において犠牲者追悼式典が厳かに執り行われました。500人以上もの尊い命が奪われたこの地で、遺族や市民らは深い悲しみを胸に、故人の冥福を祈りました。
ブチャの聖アンドリー教会で祈りを捧げる
かつて集団埋葬地となった聖アンドリー教会には、多くの市民が集まり、静かに黙祷を捧げました。教会の敷地内には犠牲者の慰霊碑が建立され、訪れた人々は花を手向け、故人を偲びました。
ブチャの聖アンドリー教会で黙祷を捧げる市民ら
アナトリー・フェドルク市長は式典で、「多くの人々が命を懸けて戦い、この街を守りました。どんな言葉も遺族の皆様の悲しみを癒すことはできないでしょう。しかし、英雄たちの勇気と強さに対し、心からの感謝を伝えたい」と述べ、故人の功績を称えました。 ブチャの悲劇は、紛争の残酷さを改めて世界に知らしめました。国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」も、ブチャでの虐殺を「戦争犯罪」と非難しています。(参考:アムネスティ・インターナショナル公式ウェブサイト)
癒えることのない悲しみ、未来への希望
70歳のリュドミラ・キジロワさんは、夫ワレリーさん(享年69歳)の名前が刻まれた慰霊碑を優しく撫でながら、「この3年間、悲しいことばかりでした。あなたがいない毎日を生きていくのは本当に辛い」と声を詰まらせました。 キジロワさんのように、愛する家族を奪われた人々の悲しみは計り知れません。ブチャの悲劇は、戦争の傷跡がいかに深く、そして長く続くものかを物語っています。
ブチャの未来、そしてウクライナの再建に向けて
ブチャ市は、破壊された街の復興と並行して、犠牲者の記憶を後世に伝える取り組みを進めています。証言を集め、記録を保存することで、二度とこのような悲劇が繰り返されないようにと願っています。 日本の支援団体「ピースウィンズ・ジャパン」も、ブチャの復興支援に積極的に取り組んでおり、医療支援や生活物資の提供などを行っています。(参考:ピースウィンズ・ジャパン公式ウェブサイト)
ブチャの解放から3年。街は少しずつ復興への道を歩み始めています。しかし、癒えることのない悲しみを抱えながら、それでも前を向こうとする人々の姿は、私たちに平和の尊さを改めて問いかけています。 ブチャの未来、そしてウクライナの再建に向けて、国際社会の支援が引き続き重要です。