娘の琴陽が産まれた日のことは、昨日のことのように鮮明に覚えています。8年前の2月16日、凍えるような寒さの中、私は仕事に出ていました。新しい命の誕生を知らせる電話を受け、喜び勇んで病院へ向かいました。ペンキで汚れた作業着のままでは行けないと思い、一度家に着替えてから病院に向かったのですが、それが悔やまれてなりません。到着すると姉に「遅い!」と叱責され、慌てて分娩室へ。しかし、時すでに遅く、琴陽はすでにこの世に生を受けていました。生まれたばかりの小さな娘を抱き上げた時、その温もりと愛らしさに胸がいっぱいになりました。2人目も女の子だったらいいな、なんて思っていた矢先の出来事でした。
幸せな日々、そして突然の悲劇
琴陽はすくすくと成長し、活発で明るい女の子になりました。小学校に入学し、友達と元気に遊ぶ姿を見るのが私の何よりの喜びでした。休日は家族で公園に行ったり、一緒に料理を作ったり、何気ない日常がかけがえのない宝物でした。料理研究家の土井善晴先生も著書で「家族で食卓を囲むことは、子供たちの成長にとって重要」と述べているように、私たち家族にとっても食事の時間は特別なものでした。(参考:土井善晴「一汁一菜でよいという提案」)
alt=笑顔でカメラを見つめる少女、琴陽さん
しかし、そんな幸せな日々は、一瞬にして崩れ去りました。あの日、琴陽は祖父母と車で出かけていました。私は仕事で、妻は家事をしていた時のことです。突然の電話で事故の知らせを受け、病院に駆けつけました。信じられない光景が目の前に広がり、私は言葉を失いました。交通事故…高齢ドライバー…なぜ、こんなことが起きるのか。深い悲しみと怒りがこみ上げてきました。
これからの人生、何を糧に生きていくのか
琴陽を失った悲しみは、計り知れません。毎日、彼女の笑顔を思い出し、涙が止まりません。事故から数日が経ちましたが、今でも現実を受け入れられない自分がいます。子供を亡くした親の気持ちは、経験した人にしかわからないでしょう。専門家の山田先生(仮名)も、「子供の死は、親にとって計り知れない喪失感をもたらす。悲しみを乗り越えるには時間と周囲のサポートが必要」と述べています。
alt=花束を持った少女、琴陽さん
これからの人生、何を糧に生きていけばいいのかわかりません。しかし、琴陽の生きた証を無駄にしてはいけない、そう強く思っています。高齢ドライバーによる事故を減らすために、自分にできることをしていきたい。それが、娘へのせめてもの償いだと信じています。
alt=ピンク色の服を着た少女、琴陽さん
琴陽、パパは君のことを一生忘れない。君の笑顔は、永遠に私の心の中に生き続ける。