思い出の旧松代駅舎、解体へ:大正ロマン香る街のシンボルが姿を消す

長野市松代町のシンボル、旧松代駅舎がついに解体の時を迎えます。大正11年、河東鉄道(現長野電鉄屋代線の前身)開通と共に誕生したこの洋風建築の駅舎は、100年以上にわたり地域住民に愛されてきました。しかし、老朽化と耐震性の問題から、本年度中に解体されることが決定しました。今回は、旧松代駅舎の歴史と解体に至る経緯、そして地域住民の声をお届けします。

思い出が詰まった駅舎の歴史

旧松代駅舎は1922年、河東鉄道の開通に合わせて建設されました。その歴史は、松代町の発展と共にありました。屋代線廃止後も、バスの待合所や観光情報の発信拠点として活用され、地域住民の生活に欠かせない存在であり続けました。

alt="旧松代駅舎の外観。洋風建築の特徴である白い壁と赤い屋根が印象的です。"alt="旧松代駅舎の外観。洋風建築の特徴である白い壁と赤い屋根が印象的です。"

かつては、多くの学生が通学に利用し、待ち合わせ場所としても賑わっていました。「高校時代、毎日この駅を利用していました。青春の思い出が詰まった駅舎が無くなるのは寂しいですね」と、80代の女性は当時を懐かしそうに語りました。

解体決定の背景:老朽化と安全性の問題

長年、地域住民に愛されてきた旧松代駅舎ですが、老朽化による耐震性の不足が大きな課題となっていました。地域住民からも安全面への懸念の声が上がり、市は解体という苦渋の決断を下しました。

交通量の多い国道403号方面と駅舎付近を繋ぐ道路新設の要望も、解体を後押しする要因となりました。新設道路の交差点が駅舎付近になる可能性もあり、国史跡「松代城跡」の整備計画との兼ね合いも考慮されました。これらの議論を経て、2021年に地元関係者らの検討委員会は「旧駅舎等撤去に異存なし」との結論に至りました。

地域住民の声:惜しむ声と時代の流れを受け入れる声

解体決定を受け、地域住民からは様々な声が上がっています。長年親しんできた駅舎の消失を惜しむ声がある一方で、老朽化という現実を受け入れる声も少なくありません。

「松代の玄関口として、長年親しまれてきた駅舎が無くなるのは寂しい」と話すのは、近くに住む60代の男性。しかし、同時に「老朽化が進んでいる以上、仕方のないこと」とも語り、時代の流れを受け入れる姿勢も見せています。

今後の展望と地域への期待

95平方メートルの木造駅舎とプラットホームは、本年度中に解体される予定です。周辺道路の整備計画は現在も検討段階であり、具体的な事業化の目処は立っていません。今後の活用方法については、地域住民の声を聞きながら、新たな街づくりを進めていく方針です。

旧松代駅舎は、地域の歴史を語る上で欠かせない存在でした。その姿を消すことは寂しい限りですが、新たな街づくりの一歩として、地域活性化への期待も高まっています。

伝統を守りつつ、未来へと繋がる新たな松代町の創造に、地域の皆様と共に歩んでいきたいと思います。