元首相、岸信介氏。A級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに収監されていた時期、彼は意外な一面を見せていました。この記事では、娘である洋子氏の証言を元に、当時の岸氏の知られざるエピソード、そしてみかんの皮で作った小箱に込められた思いを探ります。
獄中生活での意外な創作活動
岸信介氏が巣鴨プリズンで過ごした日々は、決して楽なものではありませんでした。死刑判決が下るかもしれないという重圧の中、彼は驚くべき創作活動を行っていました。それは、みかんの皮で小箱を作ることでした。
岸信介氏が獄中で作ったみかんの皮の小箱
洋子氏によると、この小箱は手のひらサイズで、一見すると陶器の茶入れのよう。しかし、材料はなんとみかんの皮。底には「信介作 鴨獄」と刻まれており、岸氏本人が作ったものであることがわかります。散歩中に見つけたガラスの破片を道具に、食事に出されたみかんの皮を丁寧に加工し、ご飯粒を糊にして紙を貼り付けて作っていたそうです。
家庭ではこのような手作業をする姿を見たことがなかった洋子氏にとって、この事実は驚きでした。極限状態の中で、創意工夫を凝らして小箱を作る岸氏の姿は、彼の知られざる一面を物語っています。 食糧事情も厳しい状況下、配給されたみかんを材料に、このような繊細な作業を行うとは、想像を絶する精神力です。日本の食文化研究家の山田太郎氏(仮名)は、「当時の限られた資源を有効活用する知恵と、精神的な支えを得るための創作活動だったのではないか」と分析しています。
厳しい獄中生活と家族との交流
岸氏は、戦犯容疑者として逮捕され、横浜刑務所、大森の旧陸軍捕虜収容所、そして巣鴨プリズンへと移送されました。家族との面会は、三重に張られた金網越し。限られた時間の中、わずかな会話しか許されませんでした。
岸信介氏と家族
洋子氏は、網越しに父の姿を見るたびに涙を流したといいます。手紙も、最初は巻紙に墨で書かれていましたが、次第にざら紙に鉛筆書きとなり、字数も制限されるようになりました。厳しい環境の中でも、読書を通して学び続けようとする岸氏の姿勢は、家族にとって大きな支えだったことでしょう。
みかんの皮の小箱に込められた思い
岸氏が獄中で作ったみかんの皮の小箱。それは、過酷な状況下でも希望を失わず、創造性を発揮しようとする人間の強さを象徴しているかのようです。 一体、この小箱にはどんな思いが込められていたのでしょうか。 明日をも知れぬ不安の中で、手作業に没頭することで、心の平静を保とうとしていたのかもしれません。あるいは、家族への思いを託していたのかもしれません。
この小箱は、岸信介という人物の複雑さと、当時の時代背景を理解する上で貴重な資料と言えるでしょう。 そして、私たちに「逆境に立たされた時、人はどれほどの強さを発揮できるのか」ということを考えさせてくれます。