開成学園の創始者であり、万延元年遣米使節、文久遣欧使節の随員として幕末に地球を2周した佐野鼎(かなえ)の足跡を、傍系子孫のノンフィクション作家・柳原三佳氏が辿る本連載。第71回のテーマは、慶応4(1868)年5月15日、現在の上野公園で散った「彰義隊」。最近になって大量に発見された元隊士や遺族の手紙を翻刻し、真実の検証を続ける遣米使節子孫の活動を取り上げる。
(柳原 三佳・ノンフィクション作家)
■ 戊辰戦争の天王山「上野戦争」
ここ最近、パンダに関する話題をよく耳にします。
現在、日本には6頭のパンダがいるのですが、そのうち、和歌山のアドベンチャーワールドにいる4頭が、来月までに中国へ帰ってしまうというのです。それだけではありません、来年の2月には、東京・上野動物園の双子パンダも返還期限を迎えるとのこと。今のうちに、お子さんやお孫さんを連れて会いに行かなければ、と思っている方も多いのではないでしょうか。
上野動物園は明治15(1882)年に開園した、日本で最も古い動物園です。そして、この動物園のある「上野恩賜公園」は、その9年前、今から152年前の明治6(1873)年に、日本で初めて「公園」に指定されました。
JR上野駅の西側に位置する公園の敷地は54ヘクタール。東京ドーム約11個分にあたります。その広大な敷地には、桜やイチョウ、クスノキなど多くの木が植えられ、不忍池や大噴水の他、美術館などの文化施設も数多く、年間を通して多くの人でにぎわっています。犬を連れた西郷隆盛の銅像も上野公園のシンボルとして有名ですね。
では、この上野公園、明治初期に「公園」に指定される前は、どんな場所だったのかご存じでしょうか。
実は江戸時代、ここは「寛永寺(かんえいじ)」というお寺の広大な境内でした。徳川将軍家の菩提寺ということもあり、大変な栄華を極めていたそうです。ところが幕末、この地において、幕府を支持する佐幕系の軍と薩摩・長州藩中心の新政府軍とによる熾烈な戦いが起こり、景色は一変します。1868年から1869年にかけ、京都から北海道までを戦場として戦いが繰り広げられた戊辰戦争の天王山ともいえる、「上野戦争」です。