山口・長生炭鉱水没事故:海底で83年ぶりに“頭蓋骨”発見か、遺族と市民団体の訴え

山口県宇部市沖合に広がる海底炭鉱「長生炭鉱」では、83年前の凄惨な水没事故により183名の命が奪われました。この歴史的な悲劇の舞台で、先日行われた潜水調査により、人の骨のようなものが発見されたことに続き、26日にはついに人の頭蓋骨と見られるものが確認されました。これは、長年海底に眠っていた犠牲者の遺骨が、長い時を経て地上に戻る可能性を示唆するものです。

長生炭鉱潜水調査の経緯と困難な状況

1942年2月3日、太平洋戦争による石炭需要の高まりの中で操業が続けられていたこの海底炭鉱は、突如として天井が崩落し水没しました。この事故により、日本人47名、朝鮮半島出身者136名の合計183名が坑道内に取り残され、現在もその多くが海底に眠ったままとなっています。

26日午前10時半、長年にわたる犠牲者慰霊と真相究明を求める活動の一環として、二人のダイバーが潜水調査のため、通称「ピーヤ」と呼ばれる排気口に到達しました。坑道内は泥や堆積物が深く積もっており、少しの動きでも視界が著しく悪化する上、坑道自体の崩落の危険性も常に伴う極めて困難な環境です。

長生炭鉱は海岸から沖合に向かって深く掘り進められていたとされており、ダイバーたちは海岸から遠い側のピーヤから入坑。側道を通り、トロッコが走る本坑道に入り、陸側へと曲がった地点を目指しました。

新たな遺骨、そして“頭蓋骨”の発見

たどり着いたのは、前日の25日に人の骨のようなものが発見された場所です。そのすぐそばで、26日も新たに人の骨のようなものが確認されました。

潜水開始からおよそ3時間半後、ダイバーが浮上し、発見物を慎重に箱に入れて運び出しました。その中には、明らかに人の頭蓋骨と見られるものが含まれていました。もしこれが犠牲者のものであると鑑定されれば、83年の時を経て、ついに故郷の土を踏むことになります。

長生炭鉱の海底潜水調査で発見された、遺骨と見られる頭蓋骨が収められた箱。長生炭鉱の海底潜水調査で発見された、遺骨と見られる頭蓋骨が収められた箱。

発見時、頭蓋骨は泥の中に半分埋まった状態だったといいます。回収の際には泥が巻き上がり、他の遺骨の回収は断念せざるを得ませんでした。警察に渡された頭蓋骨は現在、鑑定の結果が待たれています。

潜水中に撮影された映像には、ブーツのようなものを履き、右側を下にして片足を曲げた状態で横たわっているように見える、人の形を思わせるものが映し出されていました。腰から上は、長年の泥の堆積により形が判別できない状態でした。

遺族の思いと市民団体の活動

この報を受け、事故の犠牲者の一人の孫は、「どんなに苦しかっただろうか。亡くなった方たちは、海の中から何を訴えかけてきたのだろうか」と、当時の悲劇に思いを馳せました。そして、「80年前の戦時中のことを知る人は少ないが、日本の国のために尽力された韓国の方々、そして日本人の方々のおかげで、今日、私たちが今の時代を生きられている。真っ黒の遺骨を見ると様々なことを考えさせられる」と語り、深い感慨を示しました。

地元の市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」は、クラウドファンディングで資金を集めるなど、長年にわたりこのプロジェクトを推進してきました。共同代表の井上洋子氏は、「ここで亡くなった皆様が、こうして見つかった。まだたくさんの遺骨が眠っているのに、日本政府はこの状況を放っておくのか。このことをしっかり訴え、私は日本政府に必ずこのプロジェクトに参画していただきたい。日本政府は、このご遺骨に答えていただきたい」と、政府のより積極的な関与を強く求めました。

政府の対応と今後の展望

今回の発見を受けて、政府の福岡資麿厚生労働大臣は、「現時点では、安全を確保した上での潜水調査に資するような新たな知見は得られておらず、現時点での財政支援についての検討は進めておりません」との見解を示しました。一方で、「これまでも外務省と連携して対応してきておりますが、山口県警察における検査の状況などを見守りつつ、関係省庁とも連携の上、適切に対応してまいりたい」と述べ、今後の状況を見極める姿勢を示しました。

26日夜、海岸には花束が供えられ、犠牲者183人全員の名前が記された追悼の明かりが灯されました。今回の頭蓋骨の発見は、83年前の長生炭鉱水没事故が単なる過去の出来事ではなく、今もなお多くの人々の心に深く刻まれ、語り継がれるべき歴史的悲劇であることを改めて浮き彫りにしました。遺骨の鑑定結果と、それを受けた政府の対応、そして市民団体の今後の活動が注目されます。


参照元:
テレビ朝日