大阪市西成区に残る旧遊郭の面影を色濃く残す地域、「飛田新地」。大正時代に開業し、戦後の赤線を経て、売春防止法施行後は「料亭街」としてその姿を変えながら、客と仲居の「自由恋愛」という形を取り、遊郭時代の営業形態を現代に引き継いでいます。このような独特な場所が社会に存在する意味を問うのは、かつて飛田新地の料亭経営者(親方)であり、現在は女性スカウトマンとして働く杉坂圭介氏です。飛田の内部にいたからこそ語られるその実情は、単なる好奇の対象としてではなく、社会構造を深く理解するための貴重な証言となります。料亭の経営において、職場の親睦を深めるために従業員と飲み会を行う慣習も存在しますが、そこには意外なリスクが潜んでいるといいます。この記事では、杉坂氏の著書に基づき、女性従業員たちが気持ちよく働けるよう、親方がどのような工夫をしているのか、特に飲み会にまつわるリスクについて詳しく紹介します。
厳格な営業時間と閉店後の流れ
飛田の料亭は、組合によって定められた厳しい営業時間に従います。午後11時55分に鳴るチャイムを合図に片づけが始まり、深夜12時には完全に営業を終了します。大阪市の条例により、日をまたいでの営業は原則として認められていません。ただし、12月24日から1月4日の期間のみ深夜1時までの営業が許可されますが、それ以外の日は12時までというルールが徹底されています。55分のチャイムは、残り5分で閉店準備を完了しなさいという指示であり、ほとんどの店がこの時点で営業を終えます。このような組合主導による厳格なルール遵守は、他の風俗街とは一線を画す飛田の特徴と言えるでしょう。
閉店後、親方は帳場に女性従業員と番頭役のオバちゃんを一人ずつ呼び、その日の売上から従業員の稼ぎ分を現金で手渡します。その後、遠方に住む従業員を車で自宅まで送り届けるなどの対応も行われます。
スタッフ親睦会の隠れた落とし穴
店の経営が順調な時期には、閉店後に従業員全員で飲みに行くことも年に数回程度あります。親睦を深めることで、女性従業員たちの定着率が上がり、より長く働いてもらえるのではないかと考える人もいるかもしれません。しかし、特に深夜の飲み会には無視できないリスクが伴います。
飛田新地の料亭で働く女性従業員たちと親睦を深めるために行われる飲み会の様子
従業員は、親方のお金で飲むとなると、どうしても飲む量が増える傾向があります。飲みすぎは翌日の二日酔いにつながり、結果として仕事を休んでしまう原因となります。また、深夜に食事やお酒を多く摂取することは、従業員の体重増加につながる可能性があります。親方が率先して飲み食いに連れて行くと、それが習慣化し、従業員がどんどん太ってしまうという事態も起こり得ます。杉坂氏自身も、店を始めた当初は親睦を図ろうと飲み会を頻繁に行っていましたが、多くの従業員が太ってしまった経験から、その頻度を減らしたといいます。
経営スタイルの違い:男性親方と女性ママさん
飛田の料亭経営者には、男性の「親方」と女性の「ママさん」がいます。女性経営者であるママさんの場合、男性親方よりも夜に従業員を連れ歩くことが多いようです。これは、ママさんがかつて自身も飛田で女性従業員として働いていた経験を持つことが多いことに関係しています。
ママさんは、自分が若い頃に経験した厳しさから、「なんで生理くらいで休むんだ。私はそんなことで休まなかった」といった厳しい指導をしがちです。男性である杉坂氏であれば、従業員から「生理で休みたい」と言われれば、「わかった、わかった」とすぐに許可してしまうところでも、ママさんは自身の経験から安易に休ませようとはしません。このように、普段の厳しい態度の反面、スキンシップや親睦を深めるために飲み会などを利用し、いわば「アメとムチ」を使い分けることで、従業員との関係性を構築していると言えるでしょう。経営スタイルは、経営者の性別や経験によって大きく異なる現実がここにあります。
飛田新地という特殊な環境下での料亭経営は、従業員の管理、特に女性従業員との関係性構築に独自の難しさがあります。親睦を深めるための飲み会は一見効果的に見えますが、深夜という時間帯や従業員の特性を考慮しないと、かえって生産性の低下や健康問題を引き起こすリスクも存在します。男性親方と女性ママさんの経営スタイルの違いは、それぞれの経験に基づいたアプローチの違いを浮き彫りにし、この特殊な世界における人材管理の多様性を示しています。飛田の「料亭」が現代まで続く背景には、このような現場での試行錯誤と現実的な判断があるのです。
出典: 杉坂圭介氏 著『飛田で生きる 遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白』(徳間文庫、2014年)より抜粋・構成