大阪・関西万博が開幕し、事前の批判的な論調に反して盛況を見せています。これは、1970年の大阪万博や2021年の東京五輪でも見られた現象です。元大阪市長・大阪府知事の橋下徹氏は、こうした大規模事業が直面する世論の逆風について自身の見解を述べています。ビジネスパーソンの「お悩み」に答える形で、橋下氏は目先の批判に惑わされず信念を貫くための拠り所を提示しています。
橋下氏は、大阪・関西万博に実際に足を運び、「本当に感動した」と語っています。開幕前の報道が「参加国が少ない」「建設が間に合わない」「ミャクミャクが気持ち悪い」など否定的意見一色だったことに触れつつ、蓋を開けてみれば158の国と地域が参加し、大型連休前半で来場者数が200万人を突破したという事実を指摘。一部メディアがなおも混雑を批判している現状を「負け惜しみ」と評しています。
テレビに登場する有識者や元政治家が「専門家」として問題点を指摘することが期待されているため、「批判してナンボ」という姿勢になりがちであり、現状追認では存在価値がなくなると、橋下氏は彼らのインセンティブを分析しています。特に前明石市長の泉房穂氏を例に挙げ、「しょうもない文句ばかり並べている」と批判しています。
大屋根リングに体現される万博の理念
橋下氏は、大阪・関西万博のシンボルである大屋根リングについて言及。改めて上ってみて、「多様でありながら、ひとつ」という万博のテーマを体感できる「圧巻の建造物」であり、その上から眺める光景に「鳥肌が立った」と述べています。
大阪・関西万博の大屋根リングと会場風景
万博招致の発起人である橋下氏でさえ、招致時点では今の世界の混沌(ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルによるガザ攻撃、米中の貿易摩擦など)は想像できていなかったとしながらも、まさにそのような分断が進む時代だからこそ、「今この瞬間、国境も宗教も政治的立場も超えて、人々が世界中から大阪・夢洲のリング内に集まっている」ことの意義を強調。これを「すごいこと」だと表現しています。
万博は勝敗がつくスポーツ競技とは異なり、参加者全員が主役である点も重要視しています。イスラエルもパレスチナも、インドもパキスタンも、ウクライナも、皆がパビリオンを出し万博を盛り上げている状況は、まさに「多様でありながら、ひとつ」を体現していると指摘。
過去の万博との比較とリアルな交流の価値
1970年の大阪万博で冷戦下の米ソが宇宙開発を競ったように、今回は米中が「月の石」と「月の裏側の砂」の出展で競っていることに触れ、命をかけずに競うなら大いに結構だという見解を示しています。
国家間の分断が進む現代において、デジタル化の副作用で真偽不明のネガティブ情報がネットに溢れ、対立心が煽られている状況がある一方で、国が違っても人と人とが顔を突き合わせる限り、殺し合うような憎悪むき出しの深刻な紛争は起きにくいと橋下氏は考えます。
1851年の第1回万国博覧会以来2世紀近くが経ち、移動や通信が容易になり世界は狭くなった中で、「莫大な費用をかけて人々がリアルに集まる場を用意する意味はあるのか」という議論はあったものの、国家的な分断が進む今だからこそ、「世界の人々が一つの会場にリアルに集う」ことの意義が再認識されているのだと論じています。そして、その場を提供するのが「宗教に寛容で和を尊ぶ日本であること」に、我々はもっと誇りを持つべきだと述べています。
批判に惑わされず信念を貫くために
もちろん万博に課題はゼロではないが、それらは運営しながら改善していけば良いという pragmatism な姿勢を示しています。大きなプロジェクトや改革を目指す際には必ず批判やバッシングが起きるものだとした上で、「何のためにこれをするのか」という核の部分さえ揺らがなければ大丈夫だと強調しています。
批判する人は大抵、目先の問題点しか見ていないとし、「木造建築(大屋根リング)に350億円もかけるのは無駄だ!」といった批判はその典型だと指摘。大阪・関西万博は巨額の経済効果を生み出す大事業であり、その目玉である大屋根リング建設は、単なる「出費」ではなく未来への「投資」であると論じています。
大阪・関西万博の会場風景と大屋根リング
大屋根リングは、円形の中に世界からのパビリオンが収まる構造で、「多様でありながら、ひとつ」という理念を体現。さらに京都の清水寺の舞台と同じ工法で造られた世界最大級の木造建造物であり、日本の匠の技が詰まっている点を挙げ、大阪・関西万博の象徴としてまことにふさわしいものであると結論づけています。
参考文献:
- 雑誌「プレジデント」(2025年6月13日号)掲載記事