愛子内親王の相撲熱再燃?大の里フィーバーと「愛子天皇」待望論の行方

皇室に関わるニュースの中でも、愛子内親王への注目度は常に高い。近年、特に「愛子天皇」を望む声が国民の間で聞かれるようになっている。一方、日本の国技である大相撲では、若き大関・大の里が歴史的な快進撃を見せ、大きな話題を呼んでいる。実は、愛子内親王には幼少期から相撲への強い関心があったことが知られている。この「大の里フィーバー」は、愛子内親王の相撲熱を再び灯し、ひいては「愛子天皇」待望論に新たな影響を与える可能性はあるのだろうか。

大の里、歴史的快挙なるか?五月場所の熱狂

両国国技館で開かれた大相撲五月場所は、大いに盛り上がりを見せた。特に千秋楽結びの一番には多くの注目が集まった。大関・大の里はすでに四度目の優勝を決め、史上最速となる初土俵から十三場所での横綱昇進を事実上確実としていた。全勝がかかった大の里に対し、横綱・豊昇龍が立ちはだかり、その全勝優勝を阻んだ。この一番は、ファンに全勝優勝を期待させつつも、今後両横綱として鎬(しのぎ)を削るであろう二人の対戦への期待感を高めるものとなった。

強い横綱の存在は、大相撲人気の鍵となる。近年、テレビでの相撲観戦から遠ざかっていたファンも、今場所の大の里の活躍を機に再び注目するようになった者は多いだろう。

愛子内親王、知られざる「スー女」時代

こうした相撲の熱狂を伝えるニュースに触れ、もしかしたら愛子内親王も、五月場所の盛り上がりとともに幕内の取り組みに注目するようになったのではないか、と推測する声もある。なぜなら、愛子内親王は子どもの頃、相当な相撲好きであったことが知られているからだ。女性の相撲ファンを指す「スー女」という言葉が近年流行しているが、愛子内親王はまさにその先駆けのような存在だったと言える。

四歳の頃にはすでに相撲に熱中しており、力士の四股名(しこな)だけでなく、下の名前やその出身地まで暗記していたという。幼稚園から帰ると、すぐに衛星放送をつけて幕下の取り組みから熱心に観戦するほどだった。

2006年に、父である天皇陛下が愛知万博を訪問すると聞くと、「琴光喜(ことみつき)関の出身地の愛知県」と答えられたというエピソードも残っている。愛子内親王は元大関の琴光喜と元横綱の朝青龍(あさしょうりゅう)のファンで、両親を相手に相撲の決まり手を再現することもあったという。

ただ、琴光喜と朝青龍が相次いで引退してからは、愛子内親王の相撲熱もかつてほどではなくなったとも言われている。

大の里フィーバーは愛子さまの相撲熱を再燃させるか

愛子内親王と天皇皇后両陛下、大相撲両国国技館で観戦愛子内親王と天皇皇后両陛下、大相撲両国国技館で観戦

かつて熱烈な相撲ファンであった愛子内親王の相撲熱が、大の里の優勝と横綱昇進によって再び燃え上がるのかどうかは、一つの注目点である。皇室と相撲には歴史的な繋がりもある。たとえば、愛子内親王にとって曽祖父にあたる昭和天皇は、大の相撲好きとして知られていた。

相撲好きで知られた昭和天皇と、幼い頃の継宮明仁親王(後の上皇)相撲好きで知られた昭和天皇と、幼い頃の継宮明仁親王(後の上皇)

もし愛子内親王が再び相撲への関心を深め、例えば若き新横綱となった大の里の取り組みを両国国技館で観戦されるようなことがあれば、世間の「愛子天皇」待望論はさらに高まる可能性が考えられる。国民が皇室のメンバー、特に次代を担う可能性のある愛子内親王が、国民的な関心の高い国技を楽しむ姿に触れることは、親近感を抱かせ、支持を集める要因となり得るからだ。

かつて熱心な相撲ファンであった愛子内親王。若き才能、大の里の活躍は、国技館に新たな熱狂をもたらしている。この「大の里フィーバー」が、愛子内親王のかつての相撲への情熱を再燃させるきっかけとなるのか、そしてもし再燃した場合、それが国民の間で広がる「愛子天皇」待望論にどのような影響を与えるのか、今後も注目されるところである。

Source link