連続テレビ小説「あんぱん」は、「逆転しない正義」を大きなテーマに掲げ、敗戦前の日本の姿、特に教育、婦人会、そして軍隊の実態を鮮やかに描き出しています。目を背けたくなるような場面も含まれますが、これはモデルであるやなせたかしさんの遺志を継ぐ重要な描写です。本文では、「あんぱん」が深く掘り下げる軍隊での暴力と、主人公たちの運命を分けた戦時下の教育に焦点を当てて分析します。
軍隊での描写と暴力の実態
穏やかな性格で戦争を嫌う嵩が兵隊となり、大日本帝国陸軍の小倉連隊に配属された場面は衝撃的でした。そこでは上官による日常的な暴力やいじめが横行しており、第51回（1942年／昭和17年）でその一端が描かれました。原豪（豪ちゃん）に召集令状が届いた第27回（1937年／昭和12年）から数えると、「あんぱん」における戦時下の描写は既に6週目に突入しており、これは朝ドラとしては異例の長さと言えます。戦争を後押しした存在として敗戦後に批判されながらも責任を免れた愛国婦人会の役割など、描かれる範囲が幅広く、細部にまでこだわっている点が本作の特徴です。
教育が主人公たちの運命を分けた
本作が克明に描くのは、戦時下の教育がいかに人々の考えを形成していったかです。正義感が強く優しかったはずののぶが、なぜ国家主義に傾倒していったのか。その最大の理由として、教育が挙げられます。同じ高知県御免与町で育った嵩とのぶですが、彼らの進路は対照的でした。
自由な校風の東京高等芸術学校に進んだ嵩は、入学早々、担任の座間晴斗（山寺宏一）から「デザインの学校に入ったからって、デザイナーになる必要なんてない」「机で学ぶことは何もない。銀座に行け。世の中を学んでこい」（第26回）と指導を受けます。この「机で学ぶことは何もない」という言葉は、モデルであるやなせたかしさんの自著『わたしが正義について語るなら』にも記されている、実際の指導に基づいた重要なシーンです。
一方、のぶが進んだのは、国家主義者の養成機関とも言える女子師範学校でした。当初、のぶは国家主義に懐疑的でしたが、2年生となった1937年（昭和12年）の日中戦争開戦（第27回）を境に状況は変化します。担任の黒井雪子（瀧内公美）の指導は先鋭化し、「今こそ忠君愛国の精神を発揮するときです！」という呼びかけに対し、クラス全員が応じる中で、のぶだけが訝しげな表情を浮かべた場面は印象的でした。
女子師範は座学中心で、黒井は愛国を声高に叫ぶものの、その理由を深く教えることはありませんでした。のぶが国家主義に傾いたきっかけは、持ち前のやさしさでした。第29回で豪が出征したことで、のぶは兵士たちを思い「うちらに出来ることはないやろか」と考え（第30回）、同級生の助言で慰問袋を送る活動を始めます。この活動で、ためらいなく他国への侵略を正当化するスローガンである「八紘一宇」と書かれたのぼりを立て、街頭募金を行いました。
NHK連続テレビ小説「あんぱん」で戦争下の教育の影響を受けるヒロイン若松のぶを演じる今田美桜さん
この活動が「早くも愛国精神の出動」として美談のように新聞に載ると、校長は大喜びし、のぶを「愛国の鑑だ」と称賛します。まだ19歳だったのぶがやや有頂天になるのは無理もありません。その後、彼女は模範的な国家主義者へと「転げ落ちていく」のです。
東京高等芸術学校で自由の尊さを教えられた嵩と、女子師範で個性を奪う教育を施されたのぶ。教育による価値観の根本的な違いが、手紙や電話での心の通じ合いを難しくしていったのは当然の帰結でした。
まとめ
連続テレビ小説「あんぱん」は、単なる物語にとどまらず、戦時下の日本の現実、特に軍隊内の暴力や、個人の価値観を大きく左右した教育の在り方を深く掘り下げています。嵩と、そしてのぶがたどった対照的な教育の道は、なぜ彼らの心が離れていったのか、そしてドラマの核となる「逆転しない正義」を理解する上で欠かせない要素です。本作は、過去の事実から目を背けず、多角的な視点から戦争という時代を描こうとしています。
