「こども・子育て支援金」と「独身税」論争:三原大臣反論と国民感情のズレ

2026年度からの導入が予定されている「こども・子育て支援金」制度は、SNSを中心に「独身税」と揶揄され、強い批判に直面しています。この状況に対し、こども政策・少子化対策を担当する三原じゅん子内閣府特命担当大臣は、「独身税」という言葉を用いることを明確に否定し、反論しました。しかし、この大臣の発言が、SNS上で「独身税」という言葉を使っている人々の間に、意図した通りに届いているかは不確かです。臨床心理士の岡村美奈氏は、三原大臣の反論と、この「独身税」トレンドを生み出した国民感情との間に存在するズレについて分析しています。

三原大臣は、支援金制度への「独身税」という言い換えは「間違っている」と厳しい表情で指摘しました。大臣は、「こども・子育て支援金は全世代が対象であり、『独身税』という言葉は独身者だけに負担を強いる印象を与える、正しくない言葉だ」と主張しました。しかし、批判の声を上げている人々、あるいは広く国民は、この制度が文字通り独身者 だけ に課される税金だとは考えていません。独身者や子供がいない世帯など、制度からの直接的なメリットを感じにくい人々から見た、不公平感への皮肉として「独身税」という言葉を使っているのです。

「こども・子育て支援金」に関する発言を行う三原じゅん子内閣府特命担当大臣の写真「こども・子育て支援金」に関する発言を行う三原じゅん子内閣府特命担当大臣の写真

「こども・子育て支援金」は、児童手当の拡充、妊婦支援、そして少子化対策の財源確保を目的としており、国民一人あたり月額平均250円から450円程度が、加入する公的医療保険料に上乗せされる形で徴収される見込みです。これが実質的には税金のような性質を持つにも関わらず、「支援金」と名付けられている点に、政府の意図を感じ取れます。「支援」という言葉は本来、国民の義務ではなく、自発的な協力や善意を想起させることが多い日本語の表現です。支援を受ける側を助けるという意味合いが強いにもかかわらず、支払う側には国民の義務として課されるというのは、言葉の使い方が不自然に感じられます。

なぜ「支援税」ではなく「支援金」なのでしょうか。おそらく、国民からの強い反発を避けるため、より柔らかな印象の言葉を選んだのかもしれません。しかし、「支援金」と名付けたこと自体が、国や政府が国民に対して、制度への義務的な参加ではなく、あたかも子どもや子育て世代を支えるための自発的な善意やボランティア精神を求めているかのような印象を与えている可能性も指摘できます。

三原大臣はさらに、「独身税」という表現が広まった背景について、「子どもを持つ方だけでなく、社会保障を含む社会全体を支えるものであり、全員にメリットがあることが国民に十分届いていないことによるものだ」と説明しました。子どもを社会全体で育てるべきだという意見に、真正面から異論を唱える人は少ないでしょう。しかし、独身者、子どものいない世帯、または子育てを終えた世帯にとって、具体的にどのようなメリットがあるのか、という点について、大臣は明確な説明をしていません。ネット上でも、これらの層が感じる不公平感への指摘が多く見られます。税の大原則は「公平性」ですが、この制度は恩恵を受ける人々が限定されるため、その不公平感を避け、「税」ではなく「支援金」という名称を採用したのではないか、という推測も成り立ちます。結果として、「独身税」という批判は、制度の名称と、広く国民が感じる公平性の問題点との間の乖離を示唆していると言えるでしょう。

「こども・子育て支援金」を巡る「独身税」論争は、単なる言葉の綾ではなく、政府が用いる政策の名称と、国民が制度に対して抱く実質的な負担感や公平性への疑問との間の根深いコミュニケーションのズレを浮き彫りにしています。三原大臣の反論は、言葉の定義に終始し、国民が「独身税」という言葉に込めた皮肉や、制度への不公平感を訴える真意に十分に応えていない、という分析が可能です。これは、政策の説明責任と、国民感情への配慮という点で、今後の政府のコミュニケーションにおける課題を示唆しています。