自民党派閥の変遷と政治資金問題:解散ドミノとその影響

自民党内の「派閥」は、長年にわたり日本の政治権力の中枢を担ってきた。しかし、近年発覚した政治資金パーティー問題を機に状況は一変。かつての主要五派閥が解散を決定し、現在活動するのは麻生派のみという状況になった。この大きな変化は、日本の政治にどのような影響をもたらすのだろうか。

権力の源泉としての派閥の歴史

自民党における派閥の源流は、1955年の結党時まで遡る。特に、党の総裁選が実質的な首相選びの場となると、有力政治家は総裁の座を目指し、政策や思想が近い仲間を集めて組織化を進めた。自民党最古の派閥とされる「宏池会」は1957年に池田勇人氏によって創設され、後に岸田文雄氏を含む5人の首相を輩出した。派閥の領袖を総裁へと押し上げるための激しい党内抗争が特に活発だったのは、1970年代から80年代にかけてである。「三角大福中」と呼ばれた三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘の5氏は、いずれも当時の有力派閥を率いて首相の座に就いた。田中角栄氏の田中派や、1987年に竹下登氏が旗揚げした「経世会」は、「数の力」と「鉄の結束」で知られ、政界に大きな影響力を持った。各派閥は毎週木曜日に定例会合を開き、昼食を共にする習慣があり、「一致結束、箱弁当」は派閥の団結を示す有名な合言葉だった。

歴代自民党有力派閥の領袖たち歴代自民党有力派閥の領袖たち

政治資金問題と派閥解散への流れ

衆院の選挙制度が中選挙区制から小選挙区制へ変更された後も、派閥は所属議員への「カネ」と「ポスト」の配分を通じて、その求心力を維持してきた。夏には「氷代」、年末には「餅代」として、議員一人あたり数十万から百万円程度の資金が支給される慣例は長く続いた。また、閣僚や党役員の人事においても、時の首相は政権運営の安定を図るため、各派領袖からの要望を聞き入れ、派閥間のバランスに配慮して人選を行うのが常だった。

この状況が一変したのは、各派閥が開催してきた政治資金パーティーを巡る不記載問題が発覚したためだ。パーティー収入の一部が政治資金収支報告書に適切に記載されていなかった、いわゆる「裏金」問題が大規模に明るみに出た。2023年1月、東京地検特捜部は、当時の安倍派、二階派、岸田派の会計責任者らを立件した。これを受け、当時の首相であった岸田文雄氏は自身の率いる岸田派(宏池会)の解散方針を表明し、「カネと人事」を切り離した「本来の政策集団」を目指す改革を打ち出した。この動きに続き、他の主要派閥も次々と解散を決断するドミノ現象が起きた。

政治資金パーティーに関する報道政治資金パーティーに関する報道

長年にわたり日本の政治を動かしてきた自民党の派閥は、政治資金問題を機に、その形を大きく変えることとなった。かつての「数の力」や「カネとポスト」による影響力は薄れ、建前上は政策集団としてのあり方が問われている。