国公立大学が「難関」とされるワケ:私立大卒との評価差はどこから?

大学受験は日本の若者にとって人生における大きな節目の一つです。この結果が、その後のキャリアパスや将来の選択肢に大きな影響を与えるのが現状と言えるでしょう。それほど大学受験のインパクトは大きいものとなっています。変化の激しい時代においても「自分らしい進学」を実現するための一助となる書籍、『17歳のときに知りたかった受験のこと、人生のこと。』が刊行されました。本書は、きれいごとだけでなく、大学受験や人生について深く考えるヒントを提供しています。本記事では、本書の著者であるびーやま氏への特別インタビューから、日本の大学教育を取り巻くある疑問に迫ります。

国公立大学と私立大学、社会的な評価の差の背景

世間一般では、「国公立大学の卒業生は私立大学の卒業生よりも優秀である」という見方が根強いように感じられます。この認識はどこから来るのでしょうか?びーやま氏は、この評価の差は「苦手科目をどれだけ克服できたか」という点にあると指摘します。

たしかに、私立大学は難関校であっても、国公立大学に比べて受験に必要な科目数が少ない傾向にあります。例えば、文系学部であれば数学や理科の受験を回避できたり、理系学部であれば古文・漢文や歴史科目を必要としなかったりします。これに対し、国公立大学は文系・理系問わず多くの科目の学習が求められます。

困難な「苦手克服」の経験が価値を生む

びーやま氏は、国公立大学を目指すプロセスで直面する「苦手に向き合う経験」の大きさを強調します。得意科目で勝負できる私立大学という別の選択肢がある中で、あえて多くの科目を学び、苦手な分野にも取り組むことは容易なことではありません。特に多感な10代の時期には、より負担の少ない道を選びたいと思うのが自然な心理でしょう。「私立大学でも良い教育を受けられるし、科目数も少ないから楽だ」と考える受験生が多いのも頷けます(経済的な事情を除く)。

しかし、そうした状況下で苦手な科目からも逃げず、多科目を網羅的に学習して国公立大学に進学する。このプロセス自体が、困難な目標に対して粘り強く努力できる人物であることの証と捉えられているのではないでしょうか。びーやま氏自身も、国公立大学を断念して私立大学に進学した経験から、国公立大学進学者の努力を心から尊敬していると述べています。大学の調査などを行う際に、国公立大学の偏差値を私立大学より高く補正して考慮することがあるというエピソードも、こうした社会的な評価の高さを裏付けていると言えるでしょう。

大学卒業後の進路、国公立大学と私立大学の評価に関するイメージ大学卒業後の進路、国公立大学と私立大学の評価に関するイメージ

結論として、国公立大学卒業生が社会的に高く評価される背景には、単に試験の点数だけでなく、大学受験というハードル、特に多科目を学び苦手克服に取り組む過程で培われた「困難に立ち向かい、粘り強く努力を継続する力」が重要視されていると考えられます。大学選びは多くの要素が絡み合う複雑な決定ですが、びーやま氏の指摘は、受験勉強という経験そのものが持つ人間的な成長価値を示唆しています。

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