様々な理由で実の親元で暮らせない子どもたちに、安定した家庭環境を提供する「特別養子縁組」制度。これは、子どもが養親の戸籍に入り、実子と同じ立場になることで、実親との法的な親子関係を解消する制度です。一方で、自身の出自(ルーツ)を知り、生みの親との繋がりを求める当事者も少なくありません。本記事では、特別養子縁組で育ち、生みの母親との再会を果たした一人の男性の物語を通して、ルーツ探しの意味と影響について深く掘り下げます。
千葉県で会社員として働く中村力さん(23歳)は、今年1月、東北地方にある一軒家を予告なしに訪ねました。そこで対面したのは、「生みの母」でした。想像していたよりも若く、優しい印象の女性でした。力さんは何と呼べば良いか分からず、思わず「あなた」と問いかけました。「あなたがお母さんですか?」。力さんは1歳の時に民間の養子縁組団体を通じて育て親家庭に迎え入れられた特別養子です。
幼い頃から、自分には生みの母親がおり、育てることができずに育ての両親に託されたと聞いて育ちました。誕生日には生みの母親から手紙やプレゼントが届き、「プレゼントが二つもらえてラッキー」と幼心に思っていたといいます。しかし、そのやり取りはいつしか途絶え、「20歳になったら会いに行きたい」という思いを抱きながらも、行動に移せないまま時が過ぎていました。その生みの母親が、今、目の前にいます。
生みの母親は涙を流し、「私なんて会う価値もない」と何度も謝りました。彼女が自分にしたことは、それほどまでに罪深いことなのだろうか──。力さんの中に、生みの母親への否定的な感情は一切ありませんでした。会いに来たのは、幼い頃にもらったプレゼントへの感謝を伝えたかったこと、そして自分がどのように生きてきたかを伝えたかったからです。「僕ね、今の家でめっちゃグレたんです。あなたのもとで育ったらグレなかったかもしれないです」。場を和ませようと力さんがそう言うと、生みの母親は真顔でこう返しました。「そんなことないです。育てのお母さんは立派な方です」。
思春期の葛藤と養子としての原点
力さんがグレてしまったのは、本当の話です。小学校高学年の時に育て親が離婚。ある日学校から帰ると荷物がまとめられており、詳しい説明がないまま母親と妹と家を出ました。3人家族になり、母親が幼い妹につきっきりになった家で、力さんはいつも一人でした。「望んでこの家に来たわけじゃないのに。養子になったのは正解だったんだろうか」。大人への怒り、失望、そして孤立感。うまくいかないことへの苛立ちは、中学2年生の夏に爆発しました。学校へ行かなくなり、自宅の壁に穴を開けたり、家にあった預金通帳を燃やしたりしました。そんな10代の複雑な葛藤を、重くなりすぎないように生みの母親に話しました。
問いかけに答える形で、生みの母親も当時のことを少しずつ語ってくれました。家族や親戚からの猛反対に遭いながらも力さんを産んだこと、そして一度は一人で育てようとしたこと。「生きている間に一目会いたかった」という彼女の言葉を聞き、力さんはそれだけで十分だと感じました。
ルーツ探しのきっかけと戸籍からの情報
「まさか会えると思わなくて。アポなし訪問は正しいやり方ではないと思う」と力さんは再会を振り返り、こう話します。「育ての親が離婚して、思春期に荒れて、いろいろあった人生で、養子であることはやっぱり僕の原点なんです。母と会って人生のピースが埋まり、やっと大人になったという感覚がありました」。
「生みの母に会いたい」という力さんの思いは、同世代の養子たちとの交流を機に一気に現実味を帯びました。2年前、長い間足が遠のいていた養子縁組団体の集まりに参加し、成人した養子たちと出会ったのです。そこで、自分の戸籍から出生時の情報を得られることを知りました。特別養子縁組の場合、子どもが養親の戸籍に入る前に、生み親の本籍地に子の単独戸籍が作られます。この「除籍」と呼ばれる戸籍謄本を取り寄せることで、子どもは生み親の名前や本籍地を知ることができるのです。
特別養子縁組の当事者である中村力さんと仲間たちがルーツ探しなどについて語るYouTubeチャンネル「Origin44チャンネル」の収録風景
「僕もとってみよう」。力さんは勇気を出して役所に出向きました。戸籍謄本の取得には6時間かかり、手数料として5400円を支払いました。そうして手にした書類から、生みの母親に関する情報を得たのです。
生みの親との対面、そして明らかになった真実
勤務先の社長にこのルーツ探しの話をすると、「会いに行ったら?」と力さんの背中を押してくれました。さらに休日に自ら車を運転し、力さんを目的地まで送ってくれたのです。複数の県境を越え、まるで目に見えない糸に導かれるかのように、生みの母親との対面の時を迎えました。「自分一人では行動できなかった。一生忘れることのできない日です」と力さんは語りました。
再会がもたらしたもの:埋まった人生のピース
生みの親との再会は、中村力さんにとって自身のアイデンティティの一部を補完する重要な体験となりました。複雑な幼少期や思春期を経て抱いていた疑問や葛藤が、対話によって少しずつ解消されていきました。生みの母親の立場や当時の状況を知ることで、力さんは自身の「原点」をより深く理解し、過去を受け入れる一歩を踏み出したのです。たとえ法的な関係はなくても、自身のルーツを知り、生みの親と向き合うことは、成人養子にとって自己肯定感を高め、精神的な安定を得る上で大きな意味を持つと言えるでしょう。ルーツ探しは決して容易な道のりではありませんが、力さんのように「人生のピースが埋まった」と感じる当事者もいます。
結論
中村力さんの物語は、特別養子縁組で育った当事者が自身のルーツを探求し、生みの親と再会することが、彼らの人生においていかに重要な意味を持つかを示しています。戸籍からの情報取得、周囲のサポート、そして何よりも自身の強い思いが、この困難な旅を可能にしました。生みの親との対面は、過去の出来事への理解を深め、現在の自分を受け入れるための大切な一歩となり、彼に「やっと大人になった」という感覚をもたらしました。特別養子縁組制度において、成人した当事者が自身のルーツを知る権利と、それを支える環境整備の重要性を改めて浮き彫りにする事例と言えます。
参考文献
- AERA 2025年6月23日号
- 後藤絵里(ライター、社会福祉士)