「人間の首から上が木にぶら下がり…」「海の波打ち際にも遺体が」15歳で“地獄の沖縄戦”に参加した女性(96)が語る、激戦地で見た“忘れられない光景”


【衝撃画像】「人間の首から上が木にぶら下がり…」「海の波打ち際にも遺体が転がっていた」20万人が死亡した“地獄の沖縄戦”の凄まじい惨状を写真で見る

 太平洋戦争末期、住民を巻き込んだ激しい地上戦の戦場となり、20万人以上の命が失われた「沖縄戦」。影響力の大きい政治家が沖縄戦について発言し、話題を集めたことも記憶に新しい。きょう6月23日は、その沖縄戦の組織的戦闘が終結したとされている日で、「沖縄慰霊の日」に制定されている。

 昭和4年生まれの翁長(おなが)安子さんは、沖縄戦を経験したひとりだ。15歳の時に、地元沖縄の人々で構成された郷土部隊「永岡隊(特設警備第223中隊。中隊長・永岡敬淳大尉)」に入隊し、3か月に渡る“地獄の地上戦”を生き抜いた。沖縄戦では、実際になにが起きていたのか——。ノンフィクション作家のフリート横田氏が、わずかに残った体験者である翁長さんに取材した。(全2回の2回目/ 1回目 から続く)

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「木の上には首から上がぶら下がっている」戦場の移動中にみた忘れられない光景

 6月15日ごろ、米軍の攻撃に押され、糸洲から喜屋武(きゃん)へ移動するときに見た光景は忘れられない。

「照明弾で明るくなると見えました。ちっちゃな男の子が、死んでいる母のおっぱいのところをババババッと叩いて、起きなさい起きなさいって。母親は、頭が半分割れている。これを見てもね、助けることできないですよね。これが人間の戦争の姿なのかね。木の上には手足がぶら下がってる、首から上がぶら下がっている。年寄りが天秤棒の片方に鍋釜、生活用品を載せて、もう片方には死んだ男の子を入れている。そして直撃弾にあって、畑の畦に倒れていく」

 翁長さん自身、その人々と同じ境遇にいた。3人で水を汲みに行ったときに砲撃にあい、一緒に行った2人は即死した。最後、糸満・山城の壕に入る。砲爆撃のために壕外へ出ることはもうできなかった。食料も水もない。岩を口に入れて唾液を出し、鍾乳洞から落ちる水をなめて4日間を過ごした。22日朝、壕内には米軍から投降を呼びかける放送が響いてきた。もう部隊は限界をとうにこえていた。ここで、永岡隊長が口を開いた。



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