最近、海外でのカジュアルな政治議論と日本の状況を比較する声を聞く機会が増えています。特にイギリスなどでは、カフェやパブで見知らぬ人同士が気軽に政治について意見交換をしている様子がよく見られると言われます。一方、日本では政治の話題は避けられがちで、「タブー」とされる風潮さえあります。こうした状況をどうすれば変えられるのか?そのヒントが、世界で注目される「ストイシズム」にあるかもしれません。ブリタニー・ポラット氏の著書『STOIC 人生の教科書ストイシズム』からも示唆を得ながら、日本におけるカジュアルな政治議論の可能性と、ストイシズムの考え方がどう役立つのかを探ります。
政治や社会問題に関する活発な意見交換の様子
なぜ日本では政治のカジュアルな議論が根付きにくいのか
日本において、政治の話題が日常的な会話に登場しにくい背景には、いくつかの要因が考えられます。「政治と宗教と野球の話は避けるべき」という言説が象徴するように、個人の深い価値観や信念に関わる話題は、意見の対立を招きやすく、人間関係に亀裂を生じさせる恐れがあるため、タブー視される傾向があります。特に、異なる意見を持つ相手との間で感情的な摩擦が生じることを避けたいという心理が強く働くのかもしれません。しかし、常に政治の話を避けていては、国民の政治への関心や理解が深まらず、投票行動をはじめとする政治参加の向上も期待できません。また、学校教育や社会において、意見が対立した場合でも建設的に話し合い、互いの良い点を認め合いながらより良い結論を導き出す、といったディベートや議論のトレーニングを受ける機会が少なかったことも、カジュアルな政治議論のハードルを上げている一因と言えるでしょう。一つのテーマで意見が合わないだけで「この人とは合わない」と決めつけるのではなく、テーマごとに是々非々で判断する柔軟性が求められますが、感情が絡むとこうした冷静な対応が難しくなりがちです。
ストイシズム(ストア哲学)が提供する視点
では、こうした状況を乗り越え、もっと気軽に、そして建設的に政治について話し合えるようになるにはどうすれば良いのでしょうか。ここで有効な考え方となるのが、「ストイシズム(ストア哲学)」です。ストイシズムは、古代ギリシャで生まれた哲学の一派で、議論が盛んだった時代背景の中で発展しました。この哲学の核心にあるのは、「外部の出来事や他人はコントロールできないが、自分の内面、すなわち考え方や感情、反応はコントロールできる」という思想です。ストア哲学の実践者は、この考え方を基盤として、いかなる状況においても心の平静(アパテイア)を保つための精神的な訓練を積みます。世の中には当然、自分とは異なる意見を持つ人々が存在します。ストイシズムの教えとは相容れない行動をとる人や、正反対とも言える主張をする人もいるでしょう。ストイシシズムは、そうした外部の多様性や、自分の思い通りにならないことに対して、不必要に心を乱されたり、不満を感じたりしないことを目指します。他人の意見や行動は自分の支配下にはないのだから、それらを理由に悩むことは無意味だと考えるのです。
ストイックな視点から政治議論に向き合う
ストイシズムは、異なる意見を持つ相手に対しても、感情的にではなく理性的に向き合うことの重要性を説きます。感情的な共感は難しくても、同じ人間として、あるいは合理的な存在として相手を理解しようと努める理性的な共感は可能だという考え方です。ローマ皇帝であり著名なストア哲学者であるマルクス・アウレリウスは、その著書『自省録』の中で、敵対する相手にさえ敬意を払うべきだと述べています。彼はまた、人が間違いを犯すことについて、以下のように記しています。
何に不満があるのか? 人間の悪についてか? ならば、この結論を思い出せ。 理性的な動物は互いのために存在し、耐えることは正義の一部であり、人は意図せず間違いを犯すということを。(マルクス・アウレリウス『自省録』より)
この言葉は、誰であれ「間違えたい」と思って間違えるわけではない、という洞察に基づいています。たとえ相手の意見が自分にとって「全く理解できない」「間違っている」と思えて腹が立つことがあったとしても、相手にとってはそれが正しい信念や考えに基づいているのかもしれません。自分たちの「正義」とは違うからといって、相手が「悪」であると一方的に決めつけるべきではないのです。私たちは理性を持つ動物として生まれてきたのだから、その理性を最大限に活用し、全ての人に対して共感と敬意を持って接するべきだ、というのがストア哲学の示唆するところです。このような理性的な共感を議論のベースに置けば、たとえ意見が対立しても、相手をコントロールしようとしたり、感情的に攻撃したりすることなく、敬意を持った対話が可能になるはずです。
結論として、日本で政治をよりカジュアルに、そして建設的に議論するためには、ストイシズムの教え、特に「コントロールできない外部ではなく、自らの内面に焦点を当てる」「異なる意見を持つ相手にも理性的な共感と敬意を持って接する」という考え方が大いに役立つと考えられます。こうした心のトレーニングを続けることで、感情的な対立を避け、多様な意見が飛び交う中で冷静かつ生産的な対話を実現できる可能性が広がります。より開かれた政治議論の場を日本に根付かせるためにも、ストイックな視点からの学びは意義深いと言えるでしょう。
(本記事は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳、ダイヤモンド社〉の内容に関連した書き下ろしです)