1992年2月に福岡県飯塚市で登校中の小学1年生女児2人が殺害され、裁判では無罪を主張していた久間三千年氏の死刑が確定(2008年に執行)した「飯塚事件」について、再審を求めるための「現地調査」が4月5日・6日に実施されました。この調査は「飯塚事件の再審をもとめる福岡の会」と「日本国民救援会福岡県本部」の2団体が主催しました。
遺体発見現場での調査
調査の初日は、飯塚市から約30キロ離れた古処山の八丁峠にある、事件当時女児2人の遺体が発見された現場へ向かいました。参加者は雑木林に置かれた地蔵に手を合わせました。案内役を務めた前述の「福岡の会」の清水信之さんは、「こんな見つかりやすいところに遺体を遺棄しますか」と疑問を呈しました。現場から少し坂を上がった場所には、ランドセルや着衣が並ぶように置かれていた状況についても、「不自然であり、他に見つかりにくい場所はいくらでもあったはずだ」と当時の状況を説明しました。
不審車両に関する証言への疑問
裁判では、現場付近で不審な車と男を目撃したとする森林組合員のT氏の証言が重要視されました。T氏は「(男は)右後ろを見ながら運転し、車はダブルタイヤだった」などと証言しています。しかし、清水さんは、現場付近がすぐに次のカーブがある場所であり、「後ろなどをゆっくり見ているような状況ではない」と指摘しました。参加者も軽自動車に乗車して付近の状況を確認しましたが、T氏が裁判で証言したような、車のタイヤや服装を細かく記憶できるような目撃ができる場所ではないと感じました。
最後の目撃地点での検証
2日目は、女児2人が最後に目撃されたという飯塚市「潤野三叉路」での検証が行われました。ここでも、「車はダブルタイヤだった」との、前述のT氏とは別の目撃者による証言がありました。調査では、そもそも別の2カ所で、しかもどちらもきわめて短時間の目撃であったにもかかわらず、そのような詳細な証言が可能かどうかが改めて問われました。大分県日田市から参加した秋田勝博さんは、「不審な車だと思えば、タイヤではなくまずナンバープレートを見るのが自然ではないか」と語りました。また、「判決文を読んでおかしいと感じ、興味を持った」という東京からの若い参加者H・Y子さんも、「どうして不審に思ったTさんがすぐに通報しなかったのかが一番不自然に感じた点だ」などと話していました。
飯塚事件の現地調査、被害女児が最後に目撃された潤野三叉路で検証する参加者たち
現地調査が提起する疑問点
今回の現地調査では、遺体や遺留品の発見状況、そして裁判で採用された目撃証言について、参加者から多くの疑問が提起されました。特に、発見場所の不自然さや、短時間かつ不確かな状況下での目撃証言の詳細さ、そして不審車両に関する通報の遅れなどが指摘されています。これらの点は、改めて飯塚事件における捜査や裁判の過程に疑念を抱かせ、再審の必要性を強く示唆するものと言えるでしょう。