娘を奪われた母の法廷復讐劇 1981年リューベック事件

「パンッ!パンッ!パンッ!」――裁判所に銃声が響き渡った。放たれたのは合計7発の弾丸。そのうち6発がターゲットに命中し、その場で即死させた。これは、かつて西ドイツで実際に起きた、前代未聞の法廷内殺人事件である。愛する娘を無残に殺害された母親は、なぜ法廷という場で犯人に銃口を向けたのか。そして、その行為に対して彼女が受けた裁きとは。1981年に旧西ドイツで発生したこの衝撃的な事件の顛末を、凄惨な方法で子を奪われた親や、学生時代の苛烈ないじめに対し報復を行った国内外の事件を取り上げた書籍から一部抜粋して紹介する。

娘を奪われた母の法廷復讐劇 1981年リューベック事件
法廷で娘の殺人犯を射殺したマリアンネ・バッハマイアー氏の事件を再現した映像

7歳娘のレイプ・殺害事件、そして母親の復讐へ

ユーチューブには、この事件を忠実に再現したとされる一本の動画が存在する。裁判所の廊下を歩く女性の後ろ姿。彼女は法廷に足を踏み入れると、前方を一瞥し、コートのポケットから静かに一丁の銃を取り出した。そして、確固たる意志を瞳に宿し、犯人に向けて銃弾を連射したのだ。騒然とする法廷内で、法廷職員が慌ててその女性を取り押さえる──。これは、1981年に旧西ドイツのリューベックで実際に発生した法廷射殺事件を再現した映像だ。実際に銃を発砲した女性は、当時31歳だったマリアンネ・バッハマイアー氏。彼女は、自らの7歳になる愛娘を強姦・殺害した男を、自身のこの手で葬り去るという復讐を果たしたのである。

この悲劇の発端は、1980年5月5日に遡る。旧西ドイツのバルト海南西部に位置する都市、リューベックに暮らすマリアンネ氏は、女手一つで娘のアンナさん(当時7歳)を育てていた。その日の朝、些細なことで母と口論になったアンナさんは学校を休み、一人で外出した。マリアンネ氏は、しばらくすれば戻ってくるだろうと、その時はさほど気にかけていなかった。しかし、日が暮れてもアンナさんは帰宅しなかった。

不安に駆られたマリアンネ氏は警察に届け出を提出し、当局による本格的な捜索が始まった。間もなくして、一人の男が捜査線上に浮上する。その男はクラウス・グラボウスキー(当時35歳)という人物で、アンナさんとは顔見知りだった。アンナさんが飼い猫と遊ぶために、彼の住むアパートを何度か訪れたこともあったという。グラボウスキーは近所の精肉店に勤務しており、過去にも性犯罪歴のある常習者だった。

グラボウスキーが幼女へのわいせつ行為で初めて逮捕されたのは、1972年のことだった。しかし、初犯であることを考慮され、精神科への通院を条件に釈放される。だが、治療に効果はなく、その3年後の1975年、再びわいせつ目的で少女を自宅アパートに連れ込んだ。服を脱がせた瞬間、少女が大声で泣き出したため、慌ててその口を手で塞いだところ、少女は窒息して動かなくなった。彼はパニックになり、少女にシャワーの水を浴びせた結果、幸いにも息を吹き返したが、この暴行未遂容疑でグラボウスキーは再度逮捕され、裁判にかけられることになった。

まとめ

1981年に旧西ドイツのリューベックで発生したマリアンネ・バッハマイアー氏による法廷射殺事件は、娘を奪われた母親が犯人に対して自ら下した復讐劇として世界に衝撃を与えました。事件は、母親と口論して外出した7歳の娘アンナさんの失踪から始まります。捜査線上に浮上した容疑者クラウス・グラボウスキーは、アンナさんと顔見知りであり、過去にも児童への性犯罪で逮捕・起訴された経歴を持つ人物でした。彼が常習的な性犯罪者であったという背景は、この悲劇の深さを物語っています。

参考文献

『世界で起きた戦慄の復讐劇35』(鉄人社)より一部抜粋。