TOKIO解散:31年の軌跡と「異端児」と呼ばれた理由

31年にわたり「ジャニーズの異端児」と称され、型破りな挑戦を続けながらも地方の悩みや不良少年にも寄り添い続けたアイドルグループ、TOKIOが解散を発表した。1994年のデビューから、SMAPや嵐と並び平成の芸能史に大きな足跡を残した彼らの解散は、多くの人々に衝撃を与えている。老若男女に愛された彼らの軌跡を改めて振り返る。

TOKIOは2025年6月25日、グループの解散を公表した。31年間の活動に幕を下ろす決断の背景には、メンバーである国分太一のコンプライアンス違反による無期限活動休止がある。過去を振り返ると、2018年には山口達也が書類送検後にグループを脱退、2021年3月末には長瀬智也が事務所を退所し脱退するなど、メンバーの変動が続いていた。解散発表の文面には「このような状態になった以上、グループ『TOKIO』として活動して皆様から再び信頼をいただき、応援いただくことは難しいと判断」したと綴られており、残された城嶋茂と松岡昌宏が「TOKIO」という名とそれに対する信頼に誠実に向き合った姿勢がうかがえる。彼らは、単なるアイドルに留まらない存在として、多くの人々に親しまれてきた。

1990年代初頭、光GENJIの人気が陰りを見せ、歌番組が減少する中で、旧ジャニーズ事務所のアイドルは逆風にさらされていた。世は空前のバンドブームであり、「歌って踊るアイドル」の常識が揺らぎ始めていた時代だ。そんな中、SMAPがバラエティやドラマで新たなアイドル像を切り開き始めたのに続き、1994年にひときわ異彩を放つグループが登場した。それは、アイドルでありながら楽器を手に持ち、歌って踊るのではなく演奏する5人組バンド、TOKIOだった。彼らのデビュー曲『LOVE YOU ONLY』はオリコン初登場1位を獲得し、その後も『うわさのキッス』『ハートを磨くっきゃない』といったヒット曲を連発した。

グループにとって大きな転機となったのは、2003年発売の『AMBITIOUS JAPAN!』である。この楽曲は東海道新幹線のCMソングに採用され、さらに新幹線の車内チャイムとしても使用されることで、全国的な認知度を不動のものとした。続く2006年には、中島みゆきが作詞・作曲を手がけた『宙船(そらふね)』が大ヒットし、TOKIOの音楽性が幅広い層に受け入れられることを証明した。彼らがNHK紅白歌合戦に24年連続出場という前人未踏の記録を達成できたのは、これらの国民的なヒット曲が豊富であったことと無関係ではない。

TOKIOのメンバーは、バンド活動と並行して個々でも活躍した。特に俳優としては、長瀬智也が『白線流し』や『タイガー&ドラゴン』で繊細かつ力強い演技を見せ、松岡昌宏も『サイコメトラーEIJI』などで主演を務めるなど、それぞれの個性を活かした存在感を発揮した。「アイドルは歌って踊るもの」という固定観念を、TOKIOはバンドという形態と多岐にわたる活動を通じて見事に覆し、「異端児」として独自の道を切り開いたのである。彼らは、音楽、バラエティ、ドラマなど、あらゆる分野でその才能を発揮し、日本のエンターテインメント界において唯一無二の地位を築いた。

東海道新幹線の車内チャイムに使用されたTOKIOのヒット曲「AMBITIOUS JAPAN!」に関連するイメージ画像東海道新幹線の車内チャイムに使用されたTOKIOのヒット曲「AMBITIOUS JAPAN!」に関連するイメージ画像

結論として、TOKIOは31年間の活動を通じて、「バンドアイドル」という独自のスタイルを確立し、音楽性、バラエティ能力、演技力など多方面で才能を発揮することで、幅広い世代から支持を集めた。彼らの解散は一つの時代の終焉を告げるものだが、「異端児」として日本のアイドル史に刻んだその功績と、生み出した数々の楽曲やコンテンツは、今後も多くの人々の記憶に残るだろう。

ソース: https://news.yahoo.co.jp/articles/986a0f92b50f8d4ad51617528694fae770d4c797