号泣から決意へ 元尼神インター誠子、コンビ解散・吉本興業退所を語る

人気お笑いコンビ「尼神インター」を2024年3月に解散し、所属していた吉本興業を退所した誠子さん(36)。現在はフリーの芸人としてライブ活動のほか、ライフスタイルブランドのプロデュースなど多方面で活躍しています。2025年7月に自身が主催・出演する即興お笑い演劇『A塚商事』を控える彼女が、「めざましmedia」のインタビューに応じ、コンビ結成から解散、事務所退所に至るまでの経緯を赤裸々に語りました。

突然告げられたコンビ解散「え…ちょっとドッキリ?」

2007年に結成された女性漫才コンビ「尼神インター」は、誠子さんのボケと渚さん(現・ナ酒渚さん)の鋭いツッコミのスタイルで人気を集め、2011年には『第32回ABCお笑い新人グランプリ』新人賞、さらに『第46回上方漫才大賞』の新人賞候補となるなど賞レースやテレビ番組で活躍しました。

そんな尼神インターは2024年3月末に突然の解散を発表しました。解散の経緯について誠子さんは、2023年12月に渚さんから何の予兆もなく「解散したい」と告げられたと明かしました。次の単独ライブのネタを考えていた矢先の出来事で、「えー!」とただただ驚いたと言います。

吉本を辞めるつもりもなく、尼神インターのこれからを考えていた誠子さんは、かなりのショックを受けたものの、10年以上コンビを組んできた経験から、渚さんが感情的に言っているのではないと感じ取ったとのこと。渚さん自身の芸人活動や人生を考えた上での提案だろうと考え、本当に悲しかったが、あらがうことはなく受け入れようと思ったと語りました。

具体的に解散が切り出されたのは、渚さん、誠子さん、現場マネージャー、チーフマネージャーの4人で来年の活動について話し合っていた席でのこと。マネージャーが「来年はどうしましょうか?」と問いかけた際に、渚さんが突然「解散したいです」と発言したそうです。渚さんが部屋から退出した後、誠子さんは第一声「え、ちょっとドッキリ?」と言い、マネージャーも「ちょっと聞いてないので確認します」と対応。ドッキリではないことが分かり、全員がびっくりした状況だったといいます。

渚さんの雰囲気から解散を予想する瞬間はなかったかとの問いには、「予想だにしなかった出来事」と回答。普段から口数が少なく、何を考えているか分からないタイプとされる渚さんでしたが、解散を考えているとは全く分からなかったとのこと。解散を切り出された日も、普通に漫才の出番が入っており、いつも通りに元気いっぱいに仕事をしていたため、本当に驚いたと話しました。

フリー芸人として活動する元尼神インター誠子さん めざましmediaのインタビューで吉本退所や解散について語るフリー芸人として活動する元尼神インター誠子さん めざましmediaのインタビューで吉本退所や解散について語る

解散理由は明かされず 誠子が感じたパートナーの思い

渚さんから明確な解散理由は告げられなかったとのこと。誠子さんもあえて追及はしなかったといいます。

理由を聞かなかったのは、10年以上共に走り続けてきたコンビだからこそ、渚さんの気持ちやコンディションが話さなくても分かる部分があったため。誠子さん自身の中で確信に近い“理由”を感じ取っていました。尼神インターとして活動した15年間、渚さんはネタを含め全て「誠子が決めて」「誠子に任せるわ」と言ってくれていたそうです。キャラが強く個性豊かな渚さんにも、絶対にやりたいことがあったはずなのに、尼神インターを優先してくれていたこと。そういった葛藤があって、今回の解散を決めたのではないかと誠子さんは考えています。答え合わせはしていないものの、「誰よりも渚の性格・気持ちを知っているし、熟年夫婦みたいな関係性なので、正解なんじゃないかなっていうのが自分の中にあります」と語りました。

号泣もすぐに受け入れ「悲しい先には絶対にいいことがある」

解散を受け入れるのに時間はかかったかとの問いには、「楽屋でマネージャーの前で3分くらい号泣して、その後にすっと受け入れました」と回答。パートナーの意見を尊重したいと思ったことが一番の理由だったそうです。

悲しいことの先には絶対にいいことがある、これはチャンスなんだと思って、何かにチャレンジするタイミングだと考えました。割と泣いたらスッキリするタイプなので、引きずることはなかったといいます。

引き留めよう、話し合おうとは思わなかった理由については、「漫才コンビは2人でやるものだから、1人が解散したいってなったら、もう続けられないんですよ」と説明。誠子さんがどれだけやりたくても、渚さんが辞めたいと思った時点で、それは尼神インターのベストパフォーマンスはできないと感じたからだと語りました。

15年所属した吉本興業からの退所を決意「実家のような場所」

コンビ解散の悲しさを糧に、何かにチャレンジしようと考えた誠子さん。その時、頭に浮かんだのは、19歳から所属していた大好きな吉本興業を退所することでした。

退所を決めた時の思いとして、19歳で吉本に所属し吉本しか知らない自分にとって、辞めることが一番のチャレンジだと感じたといいます。自宅で決心しマネージャーさんに連絡したそうですが、マネージャーさんが優しく引き留めてくれたため号泣してしまったとのこと。それでも自宅に戻るとやはりチャレンジしたいと思う、その繰り返しでした。

本当に吉本が好きで入った事務所であり、実家のような場所だったため、仲の良い人たちに会ったら泣いてしまう、引き留められたら意思がぶれてしまうと考え、最終的に本社には行かず、自宅から「辞める方向でいきたいです」とメールで伝えたと明かしました。

ピン芸人として吉本に残る選択肢を捨てた理由「フルスイングのチャレンジ」

ピン芸人として吉本に残る選択肢はなかったのかとの問いには、チーフマネージャーからその提案があったと認めました。誠子さんの芸歴であれば、事務所もライブ開催などに動いてくれるはずだと理解していました。

しかし、それは誠子さんの中で「フルスイングのチャレンジにはならない」と思ったそうです。本当にゼロから始めるくらいの、新しい気持ちでの苦労も経験したかったという思いがあり、嬉しい提案ではあったものの、「甘やかさないで!」と感じたと話しました。そのため、一人で決意を固め、退所を選んだと語りました。

尼神インターの解散、そして長年所属した吉本興業からの退所という大きな決断を経て、誠子さんは現在、フリーの芸人として新たな挑戦を続けています。悲しみを乗り越え、自らの意思で厳しい道を選んだ彼女の今後の活躍が期待されます。

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