株式会社TOKIO、廃業を発表 国分太一活動休止、グループ解散経て4年の歴史に幕

《このたび、グループTOKIOの解散に伴い、株式会社TOKIOは所定の事務手続きおよび関係各位へのご説明等を終え次第、廃業する運びとなりましたことをご報告申し上げます。皆様にご心配とご迷惑をおかけいたしましたことを深くお詫び申し上げますとともに、これまで賜りましたご厚情に対し、心より御礼申し上げます》
株式会社TOKIOが7月2日、公式サイトで正式に廃業を発表した。これは、先日の国分太一氏(50)の活動休止発表、そしてTOKIOの解散に続く動きであり、約4年間の歴史に終止符が打たれた形だ。

事態の推移:国分太一氏の問題からグループ解散へ

事の発端は、6月20日に日本テレビが国分氏の過去のコンプライアンス上の問題行動を理由に『ザ!鉄腕!DASH!!』からの降板を発表したことだ。その直後、所属するSTARTO ENTERTAINMENTと株式会社TOKIOが国分氏の無期限活動休止を報告。さらに25日には、同日をもってTOKIOが解散することも発表された。一連の事態は、長年日本のエンターテインメント界を牽引してきたTOKIOにとって大きな転換点となった。

株式会社TOKIOの設立とその理念

株式会社TOKIOは、2021年3月に長瀬智也氏(46)が脱退した翌月、城島茂氏(54)を社長、国分氏を企画、松岡昌宏氏(48)を広報として正式に始動したばかりだった。アーティスト活動と並行して、自分たちで企画・運営を手がける会社として、新たな挑戦を目指していた。

実は本誌は2020年7月、長瀬氏の脱退発表と同じ時期に、株式会社TOKIO結成の経緯について、国分氏ら3人に直接取材を行っていた。当時、国分氏は非公開の企画書を記者に見せながら、その構想を熱く語っていた。彼の肉声からは、会社設立への並々ならぬ意欲と、彼らが目指した「手作り」のエンタメ像が見て取れる。

彼はこう語っていた。
「いまは企画書の叩き台を作っています。(株式会社TOKIOは)手作りでいこうと。“ギターから金槌に代わっていこう”と、企画書の表紙はそうなっています。企画書は自分たちで立ち上げていくというのが、新しい自分たちの見せ方かなと思っています。2人(城島、松岡)からも出たように“屋号(TOKIO)を守る”という部分では、5人でやっていた時からいろいろな景色を見せてもらったし、一人だったら全然見れなかった景色を見ることができました。これからメンバーが減り、その変化という部分を逆に楽しもうと。自分たちも年齢がたつとチャレンジということは少なくなっていくんですけど、新たなチャンレンジをすれば、新しい自分たちに出会えるんじゃないかってことで、僕らはTOKIOを会社にすることにしました。バンドから会社へ、リーダーから社長へ――ということで社長は城島、企画は僕、広報は松岡さんになっております。内容は、僕らのタレントイメージって、手作りのイメージが強いと思うんですよね。モノづくり、いろいろなものを作ってきている。それはテレビ局の皆さんが作ってくれたレールに僕らは乗っかって、今までここに来ることができたんですけど、そのレールを今まで通りスタッフの方に敷いてもらうのではなく、自分たちがレールを敷いていこう、ということで、“何でも作っちゃおう。それなら会社を作っちゃおうか”という流れができました。その会社作りということ自体が、もう面白いエンタメになっているんじゃないかな、と……」

国分太一氏、城島茂氏、松岡昌宏氏の3人。株式会社TOKIO設立時の中心メンバー。国分太一氏、城島茂氏、松岡昌宏氏の3人。株式会社TOKIO設立時の中心メンバー。

結び

「ギターから金槌へ」を掲げ、自分たちの手で新たなレールを敷こうとした株式会社TOKIO。長瀬氏脱退後のTOKIOの新たな形として始動した会社は、国分氏の活動休止とグループ解散という激動を経て、わずか約4年の歴史に幕を下ろすこととなった。その歩みは短かったものの、彼らが目指した「会社そのものがエンタメ」という理念は、多くの人々に記憶されるだろう。

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