かつて『不良少女と呼ばれて』や『スクール☆ウォーズ』といった大映ドラマで強烈な印象を残した俳優、松村雄基さん。家庭の事情により、生まれたときから父方の祖母に育てられました。今回は、その独特な生い立ち、厳格ながらも愛情深かった祖母との日々、そして幼少期を過ごした環境について語っていただきました。
厳格な祖母との二人暮らし
松村さんの育ての親である祖母は、大正2年生まれの士族の出で、非常に凛とした佇まいの方でした。礼儀作法や躾にはことのほか厳しく、日々の暮らしには明確なルールがありました。食事の時間は正座が義務付けられ、祖母が箸をつけるまでは食べ始められません。また、食事中の会話やテレビを見ることも禁止されていました。さらに、字の練習にも厳しく、年賀状などは何度も書き直しをさせられたと言います。松村さんはその厳しさを「まるで修行のようだった」と振り返ります。祖母には、両親がいないことで松村さんが道を踏み外したり、後ろ指を指されるようなことがないよう、普通の家庭以上に厳しく真っすぐに育てなければならないという強い思いがあったのかもしれません。
俳優・松村雄基さん、少年時代を振り返る
反抗期と詩吟・剣舞が育んだもの
祖母の厳しい躾に対し、松村さんが強く反発したり、距離を置きたいと感じたりする時期はあまりなかったそうです。反抗期らしい反抗といっても、口をきかなくなるといった程度のものだったと言います。相手が高齢であったことへの遠慮もありましたし、何よりも祖母は松村さんにとって親代わりの絶対的な存在だったため、本気でぶつかる気にはならなかったと語ります。祖母は詩吟の先生をしていたことから、松村さんも小学4年生から詩吟と、それに合わせて舞う剣舞を習い始めました。こうした習い事を通して、年長者や目上の人を敬う姿勢が自然と身についたと言います。
生前の祖母、凛とした松村さんとの写真
都営アパートでの下町生活
当時の暮らしは、東京・文京区にあった風呂なしの2K都営アパートでの生活でした。決して裕福な暮らしではありませんでしたが、貧しいと感じたことは一度もなかったそうです。その理由として、下町ならではの地域の結びつきの強さを挙げます。近所との助け合いが日常的な光景であり、家の鍵を閉めた記憶がないほど地域の人々との交流が密でした。隣のおばさんからおすそ分けをもらったり、調味料を貸し借りしたりと、まさに映画『ALWAYS 三丁目の夕日』で描かれるような温かい暮らしがそこにはありました。こうした環境も、松村さんの人間形成に大きな影響を与えたと言えるでしょう。
厳格ながらも深い愛情を注いでくれた祖母と、人情味あふれる下町のコミュニティ。この二つが、俳優・松村雄基さんの揺るぎない基礎を築いたのです。