裁判官の「和解」への本音:労力削減か、真相解明か、苦悩する人間性

裁判官たちは日々、重い決断を下します。彼らの職務は、時に人の運命を左右するほど重大であり、例えば死刑判決を前に精神的に不安定になってしまう者もいるほど、彼らの仕事は人間的な葛藤を伴います。本稿では、裁判官が抱えるこうした葛藤、特に民事事件における「和解」という解決方法の裏にある裁判官の本音と、それが司法に与える影響について、彼らの人間的な側面から紐解いていきます。

民事事件の多くは「和解」で終わる理由

民事訴訟においては、そもそも当事者双方が意見を異にするからこそ裁判に至るわけですが、一定程度証拠が出揃い、裁判官が双方の主張や証拠から判決の見通しを立てた段階で、「和解」による解決が図られることが多くあります。当事者だけでは感情的な対立などからなかなか合意に至りにくい場合でも、裁判所が仲介役となり話し合いを促します。判決を下す権限を持つ裁判官が、これまでの審理状況に基づいて示す見解や和解案は当事者にとって非常に説得力があり、「このまま判決になれば不利になる可能性がある」と示唆されれば、多くの当事者は和解に応じやすくなります。

このように、裁判所の主導や仲介によって和解が成立するケースはかなり多く見られます。

裁判官にとっての和解の魅力:労力の大幅削減という現実

和解が成立すると、その事件は一件落着となり、裁判官は判決を書く必要がなくなります。これは、朝から晩まで書類に目を通し、思考を巡らせ続ける裁判官にとって、非常に大きな労力削減となります。勤労者としての負担軽減という点でも、和解は裁判官にとって魅力的な選択肢であり、ある意味「切実な本音」と言えるでしょう。実際、民事事件の約半数は和解によって終結しているのが現状です。

判決を書くという作業には、双方の膨大な主張や提出された証拠の全てを正確に理解し、論点を整理し、複雑な思考を経て結論を導き出し、それを誰にも理解できるように論理的かつ正確な文章に落とし込む、という非常に集中力と時間を要する労力が伴います。事案が複雑であったり、当事者が多かったり、相反する証拠が多数提出されていたり、憲法問題のような重要な法律問題が含まれていたり、あるいは過去に例のない新しいケースであったりする場合、判決作成の負担は劇的に増大します。これらの事情が複数重なれば、その負担はさらに大きくなります。裁判官が少しでも自身の過酷な労力を減らしたい、楽をしたい、と人間的に考えるならば、判決を回避する方法、つまり和解による解決を常に模索することになるのです。

裁判官が判決文を作成するために机に向かい、六法全書や書類の山と向き合う様子裁判官が判決文を作成するために机に向かい、六法全書や書類の山と向き合う様子

和解で終結することの是非:事件の真相解明との関係性

しかし、裁判官の内心では、和解ではなくあえて判決を下してこそ社会のために良い、と考えるケースも存在します。例えば、医療過誤訴訟などでは、何が原因で、どこに責任があったのかを司法が明確に判断し、判決によって示すことで、医療現場における安全対策の改善や医療の進歩に繋がるという側面があります。和解では原因や責任の所在が曖昧なまま終わってしまう可能性があるからです。一方で、例えば夫婦間の不貞行為を理由とする離婚訴訟など、比較的当事者間の個人的な問題に留まる紛争においては、和解での終結が適切だと考えられる場合も多いでしょう。

ときには、国の責任を問う国家賠償訴訟でさえ、判決に至らないことがあります。記憶に新しい例としては、学校法人森友学園への国有地売却を巡る公文書改ざん問題で、改ざんを強いられ自死した近畿財務局職員の妻が国に損害賠償を求めた訴訟が挙げられます。この裁判は、最終的に国側が遺族側の請求を全て受け入れる「認諾」という形で終結し、裁判所は判決を書きませんでした。この事案については、国の公文書改ざんという重大な事実の認定と、それに対する政府の法的責任を司法が明確に示すためにも、和解や認諾ではなく、判決が出されるべきだった、という意見が多く聞かれました。

裁判官が抱える人間的な葛藤

このように、裁判官は、自身の過酷な労力を少しでも軽減したいという人間的な「本音」と、個別の事件、あるいは社会全体に対して司法が果たすべき、真相解明や法の明確化といった重要な役割との間で、常に葛藤を抱えています。和解は、事件を迅速かつ円滑に終わらせ、当事者の新たな出発を促す有効な手段であることは間違いありません。しかしその一方で、特に公共性の高い事案や社会に大きな影響を与える可能性のある事案においては、和解によって司法が果たすべき説明責任や責任追及といった重要な役割が見えにくくなってしまう側面も持ち合わせています。

裁判官もまた私たちと同じ人間であり、日々の激務の中で自身の負担をどう軽減するか、そして自身の良心や社会的な使命感とどう向き合うか、という難しい選択に迫られています。彼らのこうした「本音」や葛藤を知ることは、日本の司法制度がどのように運用されているのか、そしてそこで働く人々がどのような現実を生きているのかをより深く理解する上で不可欠と言えるでしょう。

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