映画『国宝』が問いかける「芸の狂気と血筋」:吉沢亮の魂を揺さぶる演技に迫る

吉田修一の同名小説を原作に、歌舞伎という伝統芸能の世界で生きる男たちの50年にわたる栄光と狂気を描き出す映画『国宝』が、今、大きな注目を集めています。主演を務める吉沢亮が見せる圧巻の演技、そして横浜流星が纏う独特の存在感が、観る者の心を深く揺さぶると評判です。単なる映画鑑賞を超え、「すごいものを見た」と評される本作の魅力を、その熱狂的な反響と核心に迫りながら紐解いていきます。

期待を超える反響:劇場を席巻する『国宝』の熱狂

公開前から高い期待が寄せられていた映画『国宝』ですが、その反響は想像をはるかに超えるものでした。SNS上では「国宝」という言葉が連日トレンド入りし、その感想の多さは異例の事態と言えるでしょう。劇場に足を運べば、約3時間という長尺にもかかわらず、ほぼ満席の客席がその熱狂ぶりを物語っています。ポップコーンやドリンクを大きめサイズで準備する観客の姿も多く見受けられ、作品への集中力の高さが伺えました。

この社会情勢の中で連日劇場を満席にするのは、まさに「すごい」の一言です。お笑い芸人であり小説家の又吉直樹さんがこの映画について「別に自分が映画に関係しているわけじゃないのに、落ち込むみたいな。表現として『食らっちゃった』みたいな」と語ったというニュースは、多くの観客の共感を呼んでいます。私自身もまた、あまりにも重く、強烈な熱量に圧倒され、ある種の畏怖さえ感じました。

映画『国宝』の公式ビジュアル。主演の吉沢亮と横浜流星が歌舞伎の世界を背景に佇み、壮大な物語の幕開けを予感させる。映画『国宝』の公式ビジュアル。主演の吉沢亮と横浜流星が歌舞伎の世界を背景に佇み、壮大な物語の幕開けを予感させる。

吉沢亮が全身全霊で描く「芸に憑かれた者」の真実

物語は、任侠の一門に生まれながら父親を亡くした喜久雄(吉沢亮)が、女形としての才能を見出され、上方歌舞伎の名門である花井半次郎(渡辺謙)の家に引き取られるところから始まります。彼はやがて、その家の御曹司である大垣俊介(横浜流星)と共に芸の道を切磋琢磨していく中で、ある出来事をきっかけに運命の歯車が狂い始める、波乱万丈の50年間が描かれます。

「その才能は、血筋を凌駕する――」というキャッチコピーが示すように、世襲制が色濃く残る歌舞伎の世界で、「血に守られた」半次郎の嫡男・俊介と、「血は受け継いでいないが天才的な才能を持つ」喜久雄という二人の若者が、運命に翻弄される様は観る者を恐怖さえ感じさせます。歌舞伎の世界がこれほどまでに厳しく、時に残酷であるのかと、改めて驚かされます。

しかし、この映画の真骨頂は、芸に憑かれた人間が、その一線を超えた時に見る風景や感じる興奮を、観客がまるで疑似体験できる点にあります。その美しさと同時に漂う静けさに、思わず鳥肌が立つほどです。喜久雄を演じる吉沢亮は、まさにその「ゾーン」に入り込んだ姿を全身全霊で観客に伝えてきます。いや、彼自身が、すでにその「向こう側」に行ってしまっているのではないかと錯覚するほどです。『国宝』の撮影期間中、吉沢亮の魂は間違いなく映画の中に吸い込まれてしまっていたのでしょう。そう思わせるほどの「妖気」が、彼の演技から放たれていました。劇中の喜久雄のセリフ「悪魔と取引したんや」には、その演技から滲み出るような生々しい信ぴょう性が宿っています。

映画『国宝』は、単なる歌舞伎を題材にした物語ではありません。それは、芸術にすべてを捧げ、その深淵を覗き込んだ者だけが到達できる境地、そしてその狂気と美しさを、観客に鮮烈に提示します。吉沢亮が体現する喜久雄の姿は、まさに国宝級の演技であり、観る者の心に深く刻み込まれることでしょう。

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