元フジテレビアナウンサー渡邊渚が語るPTSDとの闘い:虚無感と「契約ルール」で回復への道

昨年8月末にフジテレビを退社した元アナウンサーの渡邊渚さん(28)は、2023年7月の休業発表後、SNSでPTSD(心的外傷後ストレス障害)を公表し、多くの注目を集めました。約1年間の厳しい闘病期間を経て、現在はNEWSポストセブンのエッセイ連載『ひたむきに咲く』や、大ヒット中の初写真集『水平線』(集英社刊)など、精力的に活動を再開しています。本稿では、渡邊渚さん自身が赤裸々に語った、PTSDの症状とそこから生じる「虚無感」との闘い、そして独自の回復戦略について深く掘り下げます。

PTSDがもたらした「虚無感」との対峙

渡邊渚さんがPTSDの症状の中で特にコントロールに苦慮したのが、「あるはずのものがなくなる、できたことができなくなる」ことで生まれる深い虚無感でした。かつては当たり前にできていた仕事や、日常生活における基本的な動作(歩く、字を書く)さえままならなくなり、夢や目標、そして自身の好きなことさえも全て失ったかのような感覚に襲われたといいます。明るい未来を想像できず、自己の価値を見失い、生きる意味さえ問い直すほど、健康とは程遠い日々が続きました。「生きることが正しい」「いつか幸せになれる」といった一般的な励ましの言葉も、当時の渡邊さんにとっては全く信じられないものだったと明かしています。

回復への独自の戦略:「破れない契約」

このような絶望的な状況の中で、渡邊渚さんが生きるために意識的に実践したのは、「遠すぎない未来に、誰かと何かしらの破れない契約をする」という独自のルールでした。例えば、「来週友人が見舞いに来る」「来月家族とカフェに行く」といった、ごく日常的な約束を「契約」と捉え、自身の行動を律したのです。健常者であれば何でもないこれらの予定も、当時の彼女にとっては一つ一つが「大きなイベント」でした。半年先のような遠すぎる目標では心が折れてしまうため、1週間や1か月先といった近い未来に設定し、さらに自分だけの予定ではなく必ず他者を巻き込むことで、約束を守ろうという強い責任感が生まれたと語ります。

この「契約」をすることで、「そこまではちゃんと生きよう」という明確な動機が生まれ、友人への心配を避けるため、また会っている時の体調悪化を防ぐため、治療への意欲も自然と湧いてきたといいます。期限付きの目標が与えられることで、「生きている理由」を感じ、日々を活き活きと過ごすことができたと述べています。特に独立して仕事を開始してからは、多くの「破れない契約」が生まれ、定期的に生きる動機を得られることに安堵感を覚えたそうです。

契約達成後の「虚無感」の再来と乗り越える覚悟

しかし、この独自ルールの持つもう一つの側面として、一つの「契約」が終わると、それまで忘れられていた虚無感が一挙に襲いかかってくるという課題もありました。目標を達成し、契約を果たすと、「もう生きる意味はない」「この先楽しいことなんてない」という否定的な思考が頭をよぎり、うつ状態に陥ることがあったのです。

その最も顕著な例が、1月下旬に発売されたフォトエッセイ『透明を満たす』の後でした。本が書店に並ぶのを見届けるまで生きると自らに課した契約が果たされたとき、達成感よりも「大きな目標を失った」という喪失感の方が強く、まるで針が突き刺さるように虚無感が押し寄せたといいます。身体は重くベッドから起き上がれず、常に痛みが伴い、否定的な思考に支配される日々。発売前の高揚感からの落差はあまりにも大きく、この時のうつ状態は特に苦しかったと振り返っています。この経験があったからこそ、先月写真集『水平線』を発売する際には、再び同様のうつ状態になることを覚悟して臨んだと明かしており、彼女の継続的な闘いと、それに向き合う強い意志が垣間見えます。


参考文献