東京都中野区の閑静な住宅街に佇む「三岸家住宅アトリエ」は、油彩画家・三岸節子のアトリエとして使われた、都内でも希少な戦前のモダニズム建築です。かつて鬼才と呼ばれた画家・三岸好太郎が自ら図面を描き、ドイツのバウハウスで学んだ建築家・山脇巌に依頼して1934年に竣工したこの建物は、その建築的価値から2014年には国の登録有形文化財に指定されています。しかし、その貴重さとは裏腹に、長らく放置され、一時は解体寸前の危機に瀕していました。本記事では、その名建築がどのように継承され、再生への道を歩み始めたのかを紹介します。
竣工当時の東京都中野区の三岸家住宅アトリエ。モダニズム建築の粋を集めた外観で、油彩画家三岸好太郎が山脇巌に依頼し、自ら図面を描いた稀有な建築。
放置された名建築:孫娘の奮闘
この歴史的建造物である三岸家住宅アトリエは、長年にわたり活用されずに放置されていました。その結果、老朽化が進み、解体の危機に直面。この状況に立ち上がったのが、三岸節子の孫娘である山本愛子さんです。彼女は15年以上にわたり、この貴重な文化財を守るための保存活動に奔走してきました。2014年には登録有形文化財としての価値が公的に認められたものの、維持管理や修繕には多額の費用がかかるため、その継承は容易ではありませんでした。「貴重だから残すべき」という声はあっても、具体的な資金提供や収益化の手段を教えてくれる人は少なく、山本さんは八方塞がりの状態に陥っていたのです。
「場所貸し」戦略に見出した活路
そんな閉塞感に包まれていた山本さんに転機が訪れたのは2012年。ある勉強会を通じて、後に空き家掲示板「家いちば」を運営することになる藤木哲也さんと2013年に出会います。藤木さんは、空き家問題に関心を持つ山本さんに対し、具体的なアドバイスを提供し続けました。その助言の中で特に注目されたのが、アトリエ空間を「場所貸し」として活用し、収益を得るという斬新なアイデアでした。
画家三岸節子のアトリエ内部を特徴づける美しいらせん階段。歴史的空間としての価値が認められ、現在はイベントや撮影会場として活用され、その再生に貢献している。
当時、「家いちば」はまだ構想段階でしたが、藤木さんの提案は山本さんにとってまさに救いの手となりました。この「場所貸し」戦略が成功を収め、アトリエは歴史ある空間を生かしたイベント会場や撮影スタジオとして人気を博すようになります。この収益によって、建物の維持管理費を賄う道が開け、文化財としての価値を未来に繋ぐ具体的な一歩が踏み出されたのです。
三岸家住宅アトリエのモダンな外観と、その裏手にあるマンション「カーサ・ビアンカ」。アトリエは東京都内でも希少な戦前モダニズム建築の価値を持つ。
名建築を未来へ繋ぐ新たなモデル
三岸家住宅アトリエの事例は、日本の各地で進む名建築の廃墟化という深刻な問題に対し、有効な解決策を示しています。単に文化財として保護するだけでなく、「場所貸し」のような創造的な空き家活用法や、「家いちば」のようなマッチングプラットフォームの存在が、所有者が直面する経済的課題を克服し、文化財を次世代へ継承するための重要な鍵となります。山本愛子さんの粘り強い奮闘と、革新的なアイデアが結実したこの再生への道は、他の多くの歴史的建造物にとっても希望の光となるでしょう。