西城秀樹 生誕70年:中森明夫が語る「アイドルを超えたアイドル」の魅力と時代への影響

今年は、歌手・西城秀樹さんの逝去から7年、そして生誕70年という節目の年を迎えます。15歳で上京し、西城秀樹さんの輝く野性的な魅力に夢中になりアイドル評論家となった中森明夫氏が、彼がいかに「アイドルを超えるアイドル」であったか、その芸術的な先駆性と深い魅力を深く論じています。1955年4月13日に誕生し、2018年5月16日に63歳でこの世を去った西城秀樹さん。春に生まれ、春に逝った彼の存在は、多くの人々の心に今も色濃く残っています。

西城秀樹のポートレートとサンデー毎日7月27日号の表紙西城秀樹のポートレートとサンデー毎日7月27日号の表紙

西城秀樹:日本アイドル文化の黎明期を彩ったスター

日本のアイドル文化は、1970年代初頭にその幕を開けたと言われています。その黎明期を牽引し、大きな盛り上がりを見せたのが、天地真理、南沙織、小柳ルミ子の「新三人娘」と、野口五郎、郷ひろみ、西城秀樹の「新御三家」でした。それ以前の美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの「三人娘」や、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の「御三家」が、主に舞台や映画の「銀幕のスター」であったのに対し、「新三人娘」や「新御三家」は、テレビの普及とともに「お茶の間のアイドル」として登場し、その人気を不動のものにしました。

当時の子供たちは、テレビにかじりつくようにして彼らの姿を追いかけました。中学生になると、『明星』や『平凡』といったアイドル雑誌を買い求め、部屋の壁にはポスターを貼り、グラビアを切り抜いてクリアファイルに大切に収めるのが当たり前の風景でした。遠足のバスの中では、付録の歌本を開いて、そのページの歌をみんなで熱唱する遊びが定番となっていました。

世代を魅了した「ワイルドな兄貴」:中森明夫の記憶と共感

学校のクラスでは、女子の間で野口五郎派、郷ひろみ派、西城秀樹派の三派に分かれ、それぞれが推しメンへの熱い思いを語り合いました。歌唱力と端正な顔立ちで人気を集めた野口五郎、愛らしい魅力でファンを魅了した郷ひろみ、そして、ワイルドで不良っぽい雰囲気を纏い、異彩を放ったのが西城秀樹でした。

特に男子生徒からの支持は圧倒的で、「野口五郎はキザに見えるし、郷ひろみは軟弱に感じる。だけど西城秀樹は違う、ケンカが強そうで本当にかっこいい。ヒデキは俺たちの兄貴だ!」と、誰もが彼の男らしさに憧れを抱きました。中森明夫氏が三重県の漁村で育った少年時代、校則で丸坊主だった彼が、掃除の時間に長いほうきを振り回したり蹴飛ばしたりしながら、西城秀樹の『薔薇の鎖』を熱唱していたエピソードは、当時のヒデキが若者たちに与えた強烈な影響を象徴しています。彼の鮮烈なマイクアクションに触発され、ほうきを振り回したような「アホな中坊」は、当時の日本中に数えきれないほど存在したことでしょう。西城秀樹は、単なる歌手ではなく、多くの少年たちにとって「憧れの象徴」だったのです。

時代を超えて輝き続ける西城秀樹の功績

西城秀樹さんは、その圧倒的なパフォーマンスと、これまでのアイドル像を打ち破るワイルドな魅力で、日本の音楽シーンに新たな風を吹き込みました。彼が生み出した楽曲やライブでの表現は、多くのアーティストに影響を与え、後の日本のエンターテイメント界の礎を築きました。「アイドルを超えるアイドル」として、彼の残した足跡は、今もなお色褪せることなく輝き続けています。生誕70年を迎えた今、改めて彼の功績と、時代を超えて愛され続けるその存在の大きさを再認識する時です。


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