近年、日本だけでなく北半球全体が記録的な猛暑に見舞われ、6月には欧州各地で歴史的な熱波が観測されました。この「早すぎる夏」はアルプス山脈にも深刻な影響を与え、5月末にはスイスのビルヒ氷河が崩壊し、ブラッテン村の約90%が瞬く間に土砂に埋まるという甚大な被害が発生。これは地球温暖化がもたらす具体的な災害リスクの顕現であり、その脅威はもはや遠い未来の話ではありません。本記事では、氷河融解が引き起こす複合的な災害リスクについて、専門家の見解を交えながら深く掘り下げていきます。
「早すぎる夏」がもたらしたアルプス氷河の崩壊
歴史的な猛暑は日本のみならず、北半球各地を襲っており、6月の時点でスペインやポルトガルの一部では最高気温が45℃に達し、イタリアやフランスでも40℃を超えるなど、欧州全域が強烈な熱波に苛まれました。この強烈な熱波は、アルプスの氷河にも多大な影響を与えています。5月28日、アルプス山間部に位置するスイスのブラッテン村では、ビルヒ氷河の崩壊による大規模な地滑りが発生しました。村人は事前の警告で避難していたため人的被害は免れたものの、一瞬にして村の約90%が土砂に埋没するという壊滅的な被害に見舞われました。
スイス・ブラッテン村で発生した氷河崩壊による大規模な地滑り現場:土砂に埋もれた家屋
氷河のメカニズムと地球温暖化の直接的影響
このような山岳氷河の崩壊は、地球温暖化の影響を最も直接的に受ける災害リスクの一つです。氷河学の専門家で、氷河の変動メカニズムなどを研究している北海道大学北極域研究センター・低温科学研究所の杉山慎教授は、「氷河とは、陸上にできる巨大な氷の塊のこと。何年もかけて積もった雪が圧縮されて氷になり、それが自重でゆっくりと動く。それが〝氷の大河〟のように見えることから『氷河』と呼ばれています」と解説します。
ちなみに、地球上の氷河の約90%は南極大陸を覆う「南極氷床」で、残りの大半はグリーンランドを覆う「グリーンランド氷床」です。これらは陸地を〝床〟のように広く覆っているため、「氷床」と呼ばれます。一方、全体のわずか1%に過ぎないのが、今回の災害を引き起こしたような「山岳氷河」です。標高や緯度の高い地域に点在する小規模な氷河ですが、現在、地球温暖化の影響でこの山岳氷河が急速に融解しており、周辺地域での災害リスクを高めているのです。
氷河融解が引き起こす二つの主要な災害リスク
杉山教授は、氷河融解が引き起こす主な災害リスクとして、二つのタイプを挙げています。
1. 氷河後退による斜面不安定化と地滑り・土石流
一つ目のリスクは、今回スイスで発生したような地滑りや土石流です。氷河は通常、年間数センチから数十センチという非常にゆっくりとした速度で動くため、その形の変化も時間をかけて進行します。しかし、スイスではここ数年だけで氷河の約10%が消失したと言われており、その融解速度に周囲の地形変化が追いついていません。その結果、氷が消えた後の斜面は、氷河に削り取られた石や岩がむき出しになり、非常に不安定なガレ場となります。杉山教授は毎年、大学院生とともにスイスの氷河を訪れており、「落石や大規模な崩落がいつ起きてもおかしくない危険地帯があちこちにでき始めています」と警鐘を鳴らしています。
2. 氷河湖決壊洪水(GLOF):ヒマラヤ山脈の懸念
もう一つの主要なリスクは、特にヒマラヤの山間部などで懸念される「氷河湖の決壊」です。氷河が融けて後退すると、その跡地に大きな窪地が形成されます。そこに氷河の融け水が溜まっていくと、山あいの谷に天然のダムのような「氷河湖」ができます。この氷河湖が決壊し、溜まった水が一気に下流へ流れ出すことで深刻な洪水や土石流を引き起こすのが「GLOF(Glacier Lake Outburst Flood)」と呼ばれる災害です。ネパール、ブータン、インド北部など、ヒマラヤ山脈に連なる地域でこのリスクは高まっています。
例えば、エベレストの麓にあるイムジャ氷河湖では、水位の上昇を抑えるための人工的な排水工事も行われています。しかし、ヒマラヤ地域はアルプスと比較して地形が険しく、資金面の問題から監視体制や安全対策が十分ではない地域が多いのが現実です。しかも、下流には人口の多い地域が点在しており、ひとたび決壊すれば、大規模な人的・物的被害につながる危険性を孕んでいます。
まとめ:地球温暖化と高まる災害の現実
今回のスイスでの氷河崩壊は、地球温暖化がもはや「遠い未来の脅威」ではなく、「差し迫った現実の災害リスク」であることを明確に示しています。アルプスの氷河後退による地滑りや土石流の増加、そしてヒマラヤ山脈における氷河湖決壊洪水(GLOF)の脅威は、特定の地域に限定された問題ではなく、気候変動という地球規模の課題がもたらす具体的な影響です。
これらの災害は、地理的に離れた日本にとっても無関係ではありません。地球温暖化による海面上昇や異常気象の頻発は、世界各地で連鎖的に影響を及ぼし、国際社会全体での協力が不可欠です。私たちは、これらの地球規模の災害リスクを認識し、国際的な監視体制の強化、防災対策への投資、そして何よりも地球温暖化対策への取り組みを加速させる必要があります。