CREA2025年夏号の発売を記念し、代官山 蔦屋書店で「1冊まるごと人生相談」トークイベントが開催されました。脳科学者の中野信子氏に続き、第2夜には、世界的俳優・浅野忠信氏の母である浅野順子氏とベテラン音楽家の近田春夫氏が登壇。お二人の対談連載はCREA WEBで記録的な閲覧数を誇り、その好評を受けて今回のライブイベント「いろいろあって70代」が企画されました。70代半ばの浅野氏と近田氏が織りなす深遠な「70代の叡智」は、多くの聴衆に深い感動と共感をもたらしました。本稿では、その白熱したイベントの模様を詳細にレポートします。
「いろいろあって70代」大盛況のイベント会場
会場となった代官山 蔦屋書店のシェアラウンジ イベントスペースでは、開演前から画家としても活躍する浅野順子氏の最新作が展示され、来場者の注目を集めました。舞台上の大型モニターには、近年浅野氏が有名ブランドのモデルを務めた写真が映し出され、トークイベントへの期待感を高めます。公の場で浅野氏の姿を拝見できる貴重な機会とあり、彼女が登壇した瞬間、その並々ならぬオーラが会場全体を圧倒しました。
浅野順子氏と近田春夫氏が登壇したCREAトークイベントの様子、中央には浅野順子氏の絵画作品が展示されている。
浅野順子、波乱万丈の半生を駆け足で振り返る
トークは、CREA WEB連載のおさらいから始まりました。貴重な写真とともに浅野順子氏の波乱万丈の半生をプレイバック。近田氏は同年代ということもあり、自身のライフヒストリーと重ね合わせながら、浅野氏の軌跡を駆け足で辿っていきます。終戦後、横浜に駐留した米兵の父ウィラード・オバリングと、満洲から引き揚げた元芸者の母・浅野イチ子の間に生まれた一人娘である浅野氏。彼女が4歳の頃、父は単身で米国へ帰国。日本に残ることを選んだ母との二人暮らしが始まりました。その後、父とは音信不通となりますが、彼が幼い頃の浅野氏の写真を生涯ウォレットに忍ばせていたことが後に判明します。18歳になると、浅野氏は横浜で名を馳せた遊び人少女グループ「クレオパトラ党」に参加。このグループには、国際派モデルの山口小夜子氏やタレントのキャシー中島氏など、後に有名になる面々が名を連ねていました。「クレオパトラ党」での遊興の傍ら、浅野氏はディスコの専属ダンサー「ゴーゴーガール」としても活躍を開始。さらにモデルの仕事にも手を広げ、華やかな東京の夜にその輝きを放ちました。しかし、ここでイベント前半の時間が尽き、浅野氏の濃厚すぎる半生は、忠信氏がまだ生まれていないにもかかわらず、とても語り尽くせないことが判明。「現在にたどり着くには一晩かかる!」と会場は沸きました。
浅野忠信の母としての顔、そしてその後の人生
ここからは、まさにターボをかけるように浅野氏のクロニクルを要約して追いかけます。19歳で年上の男性と結婚し、二人の息子をもうけます。23歳の時に生まれた次男が、現在の浅野忠信氏です。その後、彼女は子どもを幼稚園に通わせる傍ら、隣の公園でビキニで日焼けしたり、ヘソ出しジーンズで授業参観に参加したりと、型破りな子育てを実践しました。息子たちが成人した43歳の時、浅野氏は家を出ます。40代と60代には、それぞれ個性的な男性と新たな恋を始め、人生をさらに謳歌していきます。しかし、このあたりで再び時間が尽きてしまい、詳しい半生についてはCREA WEBの連載を読むよう促されました。
近田春夫氏が最後に一言で「浅野順子氏は大物である」と総括した通り、彼女の人生はまさに波乱万丈でありながら、その全てをエネルギーに変えて生き抜いてきた強さと知恵に満ちています。今回のトークイベントは、雑誌やウェブでは伝えきれないライブ感と、浅野氏の人間的な魅力が凝縮された貴重な機会となりました。来場者は、70代を謳歌する「浅野順子」という稀有な存在から、これからの人生を豊かに生きるための多くの示唆を受け取ったことでしょう。大盛況のうちにイベント前半は幕を閉じました。