「息子なら責任を持って、殺しなさい」。91歳の母親が息子にそう迫り、息子(62)はついにその首に手をかけた――。嘱託殺人の罪に問われた息子が法廷で明かしたのは、8年にも及ぶ想像を絶する孤独な介護生活でした。彼をそこまで追い詰めたものは一体何だったのでしょうか。そして、この悲劇は本当に避けられなかったのでしょうか。これは、現代社会の抱える深刻な問題、特に介護疲れとそれに伴う社会的な孤立の現実を浮き彫りにする、痛ましい事件です。
「疲れてしまった」小平市で起きた悲劇の全貌
2025年5月15日の早朝、東京都小平市のマンションの一室から、一本の110番通報が入りました。「介護している母親が『死にたい』と言うので、私も疲れてしまって、首を絞めた」。通報を受け駆けつけた警察官が発見したのは、布団の上で倒れている半田チヱ子さん(当時91)の姿でした。チヱ子さんは搬送先の病院で死亡が確認され、通報者である同居の息子、半田誠被告(62)はその後、嘱託殺人の罪で起訴されました。
7月15日に東京地裁立川支部で開かれた初公判で、憔悴しきった様子の半田被告は、起訴内容に「間違いありません」と認めました。裁判では、この悲劇に至るまでの詳細な経緯が明らかにされ、社会に大きな衝撃を与えています。
91歳母親に対する嘱託殺人のニュースを報じるTBS NEWS DIGの画面イメージ。事件の深刻な社会背景を示唆。
8年にわたる「孤独な介護」の現実
半田被告は高校卒業後、物流などの仕事に従事していました。1998年に父親が他界してからは、チヱ子さんと二人暮らしをしていました。母親のチヱ子さんは足腰が悪くなり、2017年ごろから介護が必要な状態となります。そして2019年ごろには家の中に引きこもるようになり、ここ数年は一人で歩くことも困難に。2、3時間に一度はおむつ交換が必要になるなど、その介護負担は日増しに重くなっていきました。
食事の準備から排泄介助、入浴支援に至るまで、チヱ子さんの日常生活の全てを、半田被告がたった一人で担っていたのです。兄弟もおらず、頼れる親戚もいない状況で、半田被告は文字通り「母には自分しかいなかった」という孤独な状況に置かれていました。この長期間にわたる在宅介護は、半田被告の心身を極限まで追い詰めていきました。
「頑固な母」と「支援拒否」の壁
半田被告は、母親の介護が始まった当初から、福祉サービスの利用を試みていました。小平市にある地域包括支援センターに何度も足を運び、外部からの支援を受けようと努力していました。しかし、その支援は実現しませんでした。原因は、他ならぬチヱ子さん自身が支援を頑なに拒否したことでした。
半田被告は、チヱ子さんのことを「頑固で、気丈な性格で、車椅子や杖をつく姿すら見られたくない人」と説明しました。自身の尊厳を守りたいという強い思いが、結果として外部からの援助を閉ざし、半田被告を一層孤立させてしまったのです。2021年ごろには仕事を辞め、介護に専念するようになった半田被告に対し、チヱ子さんは「死にたい」「殺して」と繰り返すようになりました。この言葉は、介護者の心に深く突き刺さり、出口の見えない絶望へと追い込んでいったことでしょう。
結び
この小平市で起きた悲劇は、単なる一つの事件として片付けられるものではありません。長期間にわたる介護負担、家族が抱える社会的な孤立、そして被介護者による支援拒否という、現代の日本社会が直面する介護問題の複雑さと深層を浮き彫りにしています。多くの人々が人知れず抱える「介護の闇」に光を当てるこの事件は、社会全体で高齢者介護のあり方、支援の提供方法、そして孤立を防ぐための仕組みを再考する必要性を強く訴えかけています。このような悲劇を二度と繰り返さないために、私たち一人ひとりができること、そして社会として取り組むべき課題は、依然として山積しています。