ヤン・クムドク氏、3年越しの人権賞受賞:強制動員被害者の長き闘いと日韓関係の複雑性

旧日本帝国による強制動員の被害者であるヤン・クムドク氏(94)が、長年の多大な功績が認められ、ついに大韓民国人権賞(国民勲章牡丹章)を受賞しました。これは、尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権下で「関係省庁間の意見の相違」を理由に叙勲が取り消されてから、実に3年の時を経て実現したものです。彼女の受賞は、日韓間の歴史問題、特に強制動員問題における未解決の課題と、人権尊重へのたゆまぬ努力の重要性を改めて浮き彫りにしています。

国家人権委員会による授与の経緯

国家人権委員会(人権委)は8月2日午前、光州東区(クァンジュ・トング)にある療養病院を訪れ、ヤン氏に直接大韓民国人権賞を授与したと発表しました。当初、政府は8月15日の光復節(解放記念日)行事の際に勲章を授与することも検討していましたが、ヤン氏の健康状態を考慮し、人権委光州事務所のユク・ソンチョル所長を政府代表として派遣し、病院で手渡す運びとなりました。この人権賞は、ヤン氏が30年もの長きにわたり、日本政府に対し強制動員問題における謝罪と被害補償を求め続けてきたその功労を称えるものです。

国家人権委員会から大韓民国人権賞を受賞し、笑顔を見せる強制動員被害者のヤン・クムドク氏。中央前で勲章を手にしている。国家人権委員会から大韓民国人権賞を受賞し、笑顔を見せる強制動員被害者のヤン・クムドク氏。中央前で勲章を手にしている。

叙勲拒否から再議論へ:尹錫悦政権と李在明政権の動き

ヤン氏への大韓民国人権賞の推薦は2022年12月に行われましたが、尹錫悦政権下の外交部はこれを「事前協議が必要な事項」として制動をかけ、行政安全部も国務会議に案件として提出しませんでした。これにより、叙勲は当時実現せず、市民団体からは「政府は過度に日本の顔色をうかがっている」との批判の声が上がりました。この問題が再び議論され始めたのは、李在明(イ・ジェミョン)政権が発足してからです。李在明大統領は先月29日の国務会議で、ヤン氏に国民勲章を授与する「栄誉授与案」を審議し、これを決議しました。アン・チャンホ人権委員長は、「ヤン・クムドク氏の貴い功労に対する礼遇が適切な時期になされなかったことについて、非常に残念に思う」と述べ、遅まきながらその功績が認められたことを歓迎する意を表しました。

ヤン・クムドク氏の壮絶な半生と闘い

ヤン氏は羅州初等学校の6年生だった1944年5月頃、「日本に行けば金も稼げるし勉強もできる」という言葉に騙され、三菱重工名古屋航空機製作所に動員されました。そこで賃金を受け取ることなく強制労働に従事させられ、解放後に帰国するまで筆舌に尽くしがたい苦難を経験しました。旧日本帝国は1944年から1945年にかけ、朝鮮の少女たちを騙して軍需工場に動員し、航空機部品の塗装など労働を強制しながら賃金を支払わず、現在に至るまで謝罪の言葉一つも発していません。

ヤン氏は1992年以降、約30年にもわたり、勤労挺身隊被害に対する賠償を求めるなど、旧日本帝国による強占期の強制動員をはじめとする人権侵害に対して一貫して闘い続けてきました。2018年11月には、韓国最高裁で、ヤン氏らに対する1人当たり1億ウォンから1億2000万ウォンの慰謝料の支払いを三菱重工に命じる判決を勝ち取りました。しかし、日本政府と企業はこの賠償命令を拒否し続けています。ヤン氏は三菱重工の韓国国内資産差し押さえを試みましたが、韓国外交部は2022年に最高裁に対し「日本との外交的時間が必要だ」とする意見書を提出。現在も判決は保留されたままとなっています。

結び

ヤン・クムドク氏への大韓民国人権賞の授与は、長年にわたる彼女の不屈の精神と、旧日本帝国による強制動員という歴史問題の解決を求める声がいかに根強いかを改めて示すものです。この受賞は、単なる個人への栄誉に留まらず、未解決の歴史問題と日韓関係の複雑さ、そして人権問題に対する国際社会の意識を高める重要な契機となります。今後も、強制動員問題が日韓関係に与える影響と、その解決に向けた双方の取り組みが注目されます。


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