7月18日より公開された『劇場版 鬼滅の刃 無限城編』は、史上最速で興行収入100億円を突破し、その勢いはとどまるところを知りません。この驚異的な人気の背景には、主人公・竈門炭治郎をはじめとする鬼殺隊の面々だけでなく、彼らの宿敵である「鬼」たちにも深く感情移入してしまう普遍的な魅力が存在します。特に無限城編で描かれる鬼たちの複雑な内面は、観る者の心を強く揺さぶります。本記事では、無限城編に登場する鬼、特に猗窩座と獪岳がなぜこれほどまでに多くの共感を呼ぶのか、その深層心理に迫ります。
劇場版『鬼滅の刃 無限城編』で激闘を繰り広げる竈門炭治郎、冨岡義勇、上弦の参・猗窩座。彼の悲劇的な過去が多くの共感を呼ぶ
上弦の参・猗窩座:強さを求める絶望の淵
無限城編における最大の激闘の一つは、炭治郎と冨岡義勇が上弦の参・猗窩座と対峙する場面です。この壮絶な戦いの合間に描かれる猗窩座の回想シーンは、多くの観客に衝撃と深い共感を与えました。「煉獄杏寿郎の仇である猗窩座は倒されるべきだ」という思いと同時に、心のどこかで彼の幸福を願ってしまう複雑な感情が芽生えたのは、その過去があまりにも悲劇的だったからです。
病弱な父親を救うため盗みを重ねた少年時代、外道に足を踏み入れざるを得なかった彼は、慶蔵が営む道場と、そこで出会った恋雪との生活を通じて、初めて感謝と愛情を知りました。しかし、ようやく手に入れた「普通」の幸せは、鬼によってあっけなく奪われ、彼は深い絶望の淵に突き落とされます。
猗窩座の人生の歩みが丁寧に描写されることで、「なぜ猗窩座は強さに固執するのか」「なぜ強者を尊重するのか」といった疑問が次々と解明されていきます。彼を襲ったすべての不幸を自身の「弱さ」と捉えた結果、強さのみを追い求める「鬼」へと変貌しました。だからこそ、彼は弱者、すなわちかつての自分自身を忌み嫌うようになったのです。戦闘中に饒舌になるなど、表面的には戦闘狂にしか見えない猗窩座ですが、その詳細な心情描写は、彼が単なる快楽殺人鬼ではなく、私たちと同じように弱さや悲しみを抱える人間であったことを示唆します。観る者は無意識のうちに彼の勝利を願ってしまうと同時に、優しかった猗窩座がこれ以上拳を血で染めないでほしいという思いから、炭治郎と義勇の応援にも一層熱が入ったのでした。
上弦の陸・獪岳:認められない努力と屈辱
上弦の陸・獪岳もまた、多くの人が自身の経験と感情を重ね合わせやすいキャラクターです。彼は元鳴柱・桑島慈悟郎のもとで、弟弟子である善逸と共に厳しい修行に耐え忍んでいました。真面目に稽古に励み、着実に成長していく獪岳に対し、泣き喚いてばかりでなかなか成長を見せない善逸。そんな情けない弟弟子を嫌っていた獪岳にとって、慈悟郎から雷の呼吸の継承権を善逸と分け合うと告げられたことは、彼のプライドを大きく傷つける出来事でした。見下していた相手と同列に扱われたことによる衝撃と屈辱は計り知れません。自身の努力が正当に評価されず、心が乱れてしまう獪岳の気持ちは、多くの共感を呼びます。
しかし、獪岳の心情をより深く理解させるのは、慈悟郎の「えこひいき」と感じられる部分です。回想シーンを振り返ると、慈悟郎はできの良い獪岳よりも、成長の遅い善逸にばかり指導の目を向けているように映ります。これは慈悟郎が「護送船団方式」を採用し、遅れている者に重点を置いていただけかもしれません。決してひいきではなかったはずです。それでも、懸命に努力している自分よりも、善逸ばかりが構ってもらえていると感じた獪岳にとって、それは面白くない状況だったでしょう。加えて、善逸が慈悟郎を「じいちゃん」と呼ぶなど、二人の距離感が近かったことも、獪岳の裏切りに拍車をかけた可能性は低くありません。
努力が適切に評価されないこと、いわゆる「いい子」ほど放置されがちであること。獪岳が抱いたであろう屈辱感や孤独感を経験した人は少なくないはずです。登場時間は長くはないものの、獪岳がこれほどまでに支持を集めている要因は、彼の共感を呼びやすい過去と複雑な性格に他なりません。
鬼たちが示す人間の「弱さ」と「共感」の物語
『劇場版 鬼滅の刃 無限城編』は、単なる勧善懲悪の物語に留まらず、鬼として生まれ変わった彼らが、生前の人間として抱えていた苦悩、絶望、そして弱さを深く掘り下げて描いています。猗窩座の強さへの執着も、獪岳の承認欲求と屈辱も、彼らが極限の状況下で選んだ「歪んだ解決策」であり、その根源には人間誰しもが持ちうる感情が隠されています。
彼らが鬼になったのは、それぞれに避けがたい悲劇や不遇な境遇があったからこそです。観客は、憎むべき敵であるはずの鬼たちの過去を知ることで、彼らの行動の背景にある人間的な葛藤を理解し、同情や共感を抱かずにはいられません。この鬼たちの多層的な心理描写こそが、『鬼滅の刃』がこれほどまでに幅広い層から熱狂的な支持を受け、単なるバトルアニメの枠を超えて社会現象を巻き起こす一因となっているのです。彼らの物語は、私たち自身の心に潜む「弱さ」や「葛藤」を映し出し、深い感動と問いかけを残します。
参考文献
- 吾峠呼世晴『鬼滅の刃』集英社
- ufotable制作アニメ『鬼滅の刃』
- 劇場版『鬼滅の刃 無限列車編』公式ウェブサイト
- 劇場版『鬼滅の刃 無限城編』公式ウェブサイト