ウクライナ侵略と重なるソ連の対日侵攻 国際ルールを平然と踏みにじる…参戦から80年


【ひと目でわかる】旧ソ連の抑留によって多くの日本人が犠牲に

1945年8月9日未明、日本軍の「最後の戦争」の戦端は、ソ連軍が満州(中国東北部)に侵攻して開かれた。日本が米英との和平仲介をソ連に頼んださなかだ。

日ソは41年4月、中立条約に調印。ソ連は45年4月に条約不延長を通告したが、中立規定は46年春まで有効なはずだった。ソ連がフィンランドに対してと同様、条約を破ったのは明らかだ。

満州侵攻翌日の8月10日、日本はソ連を含む各国にポツダム宣言を受諾する意向を通知している。15日には昭和天皇の「終戦の詔書」(玉音放送)が流れ、9月2日には戦艦「ミズーリ号」で降伏文書に調印した。

なおもソ連は北海道占領も視野に侵略を続けた。日本側は民間人だけで約24万5千人が亡くなったとの統計もある。

ソ連は91年に崩壊したものの、ロシアは北方領土を不法占拠し続け、ウクライナへの攻撃を止めない。平和条約を結んでいない軍事大国は、今も日本の隣国だ。



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