日航ジャンボ機墜落事故40年:未解明の“核心”と遺族の歩み

1985年8月12日、520人の尊い命が奪われた日本航空ジャンボ機墜落事故から、間もなく40年を迎える。公式には機体後部の圧力隔壁における不適切な修理が事故原因とされているものの、その「不適切修理」がなぜ行われたのかという“核心”部分は、今なお完全に解明されていない。今回、TBSはこれまで独自に入手してきた非公開の調査資料に加え、アメリカ側の関係者証言、さらに隔壁修理に携わったボーイング社の作業員への取材に基づき、単独機として史上最悪の航空機事故を改めて深く検証した。

御巣鷹の尾根に集う人々:悲しみから「優しい山」へ

今年4月29日、事故から40年目の「山開き」が行われた群馬県の御巣鷹の尾根には、多くの遺族、日本航空関係者、そしてメディアが集結した。その中には、「8.12連絡会」の事務局長を務める遺族の一人、美谷島邦子さんの姿があった。事故発生以来、深い悲しみと怒りを胸に登り続けてきた御巣鷹の尾根について、美谷島さんは「いろんな方に支えられて、優しい山になった」と語る。現在、「8.12連絡会」の活動は、他の大規模な事故や災害の被害者遺族との連携へと広がり、共に御巣鷹の尾根へ登る交流を通じて、悲しみを分かち合い、支え合う輪を広げている。

12分間の惨劇:機内での異変と生存者の証言

日本航空123便に異変が生じたのは、羽田空港を離陸してわずか12分後のことだった。突如機内に響き渡った爆発音のような轟音の直後、機長が「なんか爆発したぞ」と叫んだという。この事故で奇跡的に救出された4人の生存者のうち、非番で搭乗していた客室乗務員は、当時の機内の状況を次のように証言している。

「バーンという音とともに、酸素マスクが落ちてきました。機内がもう白く濁ったような状態で、耳がツーンという感じで、もうパニックで…その時、私は後ろを向いたら、トイレの天井がスッポリ抜けて天井が無くって、機内の布っていうか、ペラペラした感じのものが見えました」

日航機墜落事故の調査委員会による、非公開の生存者聞き取りメモを示す資料日航機墜落事故の調査委員会による、非公開の生存者聞き取りメモを示す資料

別の生存者もまた「白い霧」のようなものが機内に充満していたと証言している。これは、機体が急激な減圧に見舞われた際に、空気中の水分が凝結して発生する特有の現象である。

事故調査の初期段階:テロの可能性と排除

事故発生直後、機体製造メーカーであるボーイング社、米国家運輸安全委員会(NTSB)、米連邦航空局(FAA)で構成されるアメリカの調査チームが派遣され、独自の事故調査が開始された。ボーイング社で事故調査を担当したジョン・パービス氏は、当初の懸念について次のように語っている。「これはテロ事件ではないかと思いました。アメリカ側の誰もが、爆弾の可能性を考え、調べてみる必要があると感じていました」。

日本へ向かう前に、調査チームは「機体後部のトイレの後ろから『外の光が見えた…』という話が伝えられていた」という気になる報告を受けていた。しかし、最終的にはこの情報は誤りであったことが判明する。トイレの壁などを詳細に調査したが、爆弾につながる証拠は一切見つからず、これによりテロの可能性は排除されたのだった。

群馬県警による日航機墜落事故の実況見分で、生存者が立ち会い、機内の天井に「音」と記された箇所群馬県警による日航機墜落事故の実況見分で、生存者が立ち会い、機内の天井に「音」と記された箇所

墜落事故の核心と教訓

日航機墜落事故の原因とされる不適切修理箇所の圧力隔壁が、東京・調布飛行場で復元された様子日航機墜落事故の原因とされる不適切修理箇所の圧力隔壁が、東京・調布飛行場で復元された様子

日航ジャンボ機墜落事故は、その直接的な原因は特定されたものの、「なぜ不適切な修理が行われたのか」という根本的な問題は、40年が経過した現在もなお、完全には解き明かされていない。TBSの継続的な調査のように、多角的な視点から事実を掘り起こし続けることは、事故の教訓を次世代に伝え、未来の安全へと繋げていく上で不可欠である。遺族の活動が示すように、悲劇を風化させず、そこから得られる知見を社会全体で共有し続けることこそが、犠牲となった520人の命に対する最大の追悼となる。

参考文献

  • TBS NEWS DIG (Yahoo!ニュース経由): 「“核心”は謎のまま―― 520人の命が奪われた墜落事故 なぜ「不適切修理」は行われた? 日航ジャンボ機墜落事故40年」