『火垂るの墓』ラストシーンに隠された真意:ビル群が示す現代への警鐘

スタジオジブリが贈る不朽の名作『火垂るの墓』。太平洋戦争末期を舞台にしたこの物語のラストシーンは、主人公・清太と節子の目の前に広がる現代のビル群で締めくくられることをご存知でしょうか。戦争の悲惨さを描いた作品に突如として現代の風景が挿入されるこの演出は、多くの観客に疑問と深い印象を与えてきました。2025年8月15日には『金曜ロードショー』での放送も控える中、この象徴的なラストシーンに込められた、高畑勲監督の真摯なメッセージを改めて紐解いていきましょう。

清太と節子の「幽霊」としての存在

本作は、すでに命を落とした清太が幽霊となり、生前の出来事を追憶する形で展開されます。例えば、母親の遺骨を抱え電車に揺られる場面では、混雑する車内に赤みを帯びた清太の姿が描かれており、これは彼がすでに「この世を去った存在」であることを示唆していました。同様に、ラストシーンに登場する清太と節子も赤い光をまとっており、彼らが現世を離れた魂であることが明確に示されています。

高畑勲監督は、幽霊となった清太たちについて「このふたりの幽霊は、気の毒なことにこの体験を繰り返すしかない」と語っています。この言葉は、彼らが死後も過去の記憶に囚われ続け、悲劇の螺旋から抜け出せずに現代にまでその影響が及んでいるという、痛ましくも示唆的な演出であることを意味しているのです。

高畑監督のメッセージと清太の「選択」

なぜ高畑監督は、清太たちの魂が現代まで悲劇を繰り返すという、このような形で物語を締めくくったのでしょうか。これまでのジブリ作品の多くは、『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』のように、困難に勇敢に立ち向かい、道を切り拓く少年少女を主人公としていました。しかし、『火垂るの墓』の清太は、ある意味でこれまでの主人公とは対極に位置する存在と言えます。

清太は、西宮のおばさんの元を離れ、妹の節子と共に二人きりで生きる道を選びました。もし彼がおばさんの小言に耐え、家に留まっていたら、あるいは家を出た後も素直に謝罪して戻っていたら、あの悲惨な結末は避けられたかもしれません。しかし、清太は周囲の人々に頼ることができず、結果的に節子を死なせてしまうことになります。

高畑監督は、公開当時の映画パンフレットに記された『「火垂るの墓」と現代の子供たち』の中で、清太の行動について深く考察しています。「清太のとったこのような行動や心のうごきは、物質的に恵まれ、快・不快を対人関係や行動や存在の大きな基準とし、わずらわしい人間関係をいとう現代の青年や子供たちとどこか似てはいないだろうか。いや、その子供たちと時代を共有する大人たちも同じである」と。監督はさらに、「アニメーションで勇気や希望やたくましさを描くことは勿論大切であるが、まず人と人がどうつながるかについて思いをはせることのできる作品もまた必要であろう」と続けました。
火垂るの墓ラストシーンでの清太と節子の姿。幽霊として現代のビル群を見つめる二人。火垂るの墓ラストシーンでの清太と節子の姿。幽霊として現代のビル群を見つめる二人。

ビル群が示す「今」への警鐘

これらの監督の視点から考えると、『火垂るの墓』は単に戦争の悲惨さだけを描いた作品ではありません。清太の生き方を通して、人と人とのつながりの大切さ、そして現代社会における人間関係の希薄さへの問いかけが込められているのです。

2024年8月2日に放送されたNHK・Eテレ特別番組『火垂るの墓と高畑勲と7冊のノート』でも、ラストシーンの現代のビル群について「よそごとじゃなくて、私たちの“今”のことでもあると思わされる。それがこの映画のちょっと恐ろしいところ」と解説しています。

発展の象徴である「ビル群」と、他者とのつながりを避け続けた「清太」。この二つを描いたラストシーンは、戦争の悲惨な記憶とともに、現代社会の人間関係のあり方へ静かに、しかし力強く警鐘を鳴らしているのかもしれません。『火垂るの墓』は、私たち自身の「今」を見つめ直すきっかけを与えてくれる、深く意義のある作品なのです。

参考資料

  • 高畑勲(1988)『映画パンフレット「火垂るの墓」掲載「火垂るの墓」と現代の子供たち』.
  • NHK・Eテレ特別番組『火垂るの墓と高畑勲と7冊のノート』(2024年8月2日放送).
  • 野坂昭如(1988)『火垂るの墓』新潮社.