2025年5月3日、沖縄県那覇市で開催された憲法シンポジウムにおいて、自民党の西田昌司参議院議員が、糸満市に位置するひめゆりの塔の説明について疑問を呈しました。彼は「ひめゆりの隊が死ぬことになったのは日本軍が入ってきたからであり、アメリカが入ってきて沖縄が解放されたという文脈で書かれている。歴史が書き換えられている」と発言し、波紋を呼んでいます。
自民党の西田昌司参議院議員の肖像。沖縄の憲法シンポジウムでの「ひめゆりの塔」に関する発言が話題となっている。
筆者は7月1日、西田議員の発言を検証するため、ひめゆり平和祈念資料館を訪れ、その展示内容を綿密に確認しました。しかし、西田議員が指摘したような説明は、館内のどこにも見当たりませんでした。この事実に驚きつつも、資料館の展示からは「いかにも女子校らしい」元ひめゆり学徒たちの闊達な学校生活のエピソード、親御さんへのユーモラスな手紙、そして沖縄陸軍病院への動員が在校生全員ではなかったことなど、これまであまり知られていなかった事実や生き生きとした証言に触れることができました。「ひめゆり」とは、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校という、校舎や施設を共有し、校歌も行事も同じくしていた二つの学校の愛称です。資料館は、戦前の校舎を模して建てられています。
「軍国少女」だけではない:ひめゆり学徒たちの等身大の学校生活
資料館に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは、野田貞雄校長を囲む沖縄師範学校女子部の屈託のない笑顔の集合写真です。しかし、2021年のリニューアル前までは、展示されていたのは「軍国少女のようなキリッとした表情の写真ばかりだった」と、開館以来元学徒を支え続けてきた普天間朝佳館長は語ります。
普天間館長によれば、コロナ禍以前から元ひめゆり学徒の高齢化が進み、資料館を訪れることが困難になった90代半ばの学徒たちから、2021年のリニューアルに際して直接意見が寄せられたと言います。「自分たちの学校生活は、写真で見るような灰色ばかりではなかった。楽しいことやおかしいこともたくさんあったのだ」という彼女たちの言葉を受け、戦後世代である資料館のスタッフは、第1展示室をはじめとする全面的なリニューアルを敢行しました。これにより、ひめゆり学徒たちの多面的で等身大の姿が、より明確に来館者に伝えられるようになったのです。
まとめ
西田昌司参議院議員の「ひめゆりの塔の説明が歴史を書き換えている」という発言は、ひめゆり平和祈念資料館の実際の展示内容とは異なっていることが、筆者の現地検証によって明らかになりました。資料館は、元学徒たちの真の姿と多様な経験を伝えるため、時代と共に展示内容を更新し続けています。歴史を多角的に理解し、次世代に正確に伝えることの重要性が改めて浮き彫りになる事例と言えるでしょう。
参考文献