お盆休み期間中、東京都内のある小劇場で連日「満員御礼」が続く舞台演劇があります。その名は「5月35日」。この存在しない奇妙な日付は、ある歴史的な出来事を暗に示す比喩として用いられています。1989年6月4日、中国北京で民主化を求める学生や市民に対し、軍が武力で鎮圧し、多くの犠牲者を出した「六四・天安門事件」です。中国政府が今なお「反革命暴乱」と位置づけ、その情報統制を続ける中、この舞台は香港で誕生しました。しかし、2020年10月の香港国家安全維持法の施行により言論統制が強化され、「5月35日」という隠語ですら上演が不可能となったため、舞台の場は日本へと移されました。
天安門事件と「5月35日」に込められた意味
「六四・天安門事件」は、1989年6月4日に発生した、中国の民主化運動に対する武力鎮圧を指します。この事件は中国国内では現在も語ることがタブー視され、関連する情報は厳しく統制されています。そうした背景の中、香港の女性劇作家・荘梅岩(そうばいがん)さんは、事件の犠牲者の命日である6月4日を直接表現せず、「5月35日」という架空の日付を比喩として用いることで、事件の遺族を描く舞台劇を創作しました。この作品は、2019年5月に香港で初公演を迎え、大きな反響を呼びました。しかし、その後の香港における大規模デモを経て、2020年10月に香港国家安全維持法が施行されると、表現の自由は一層厳しく制限されることとなりました。「5月35日」のような婉曲的な表現ですら、上演が許されない状況に陥ったのです。
日本での上演:記憶の継承と表現の場
香港での上演が困難になったことを受け、舞台「5月35日」の台本は演劇仲間の紹介を通じて日本の劇団に持ち込まれました。この舞台劇は、「天安門事件」で息子を亡くした老夫婦の物語を中心に展開します。母親は息子への思いを忘れられず、年老いた夫の介護で身動きが取れない中、自身に残された時間が少ないと知ると、息子の命日である6月4日に天安門広場へ弔いに行くことを決意します。この深い人間ドラマは、荘梅岩さんが実際に「天安門の母」(天安門事件で子どもを亡くした母親たちの会)関係者へのインタビューを基に創作したもので、そのリアリティが観客の心を打ちます。
日本版の脚本は、劇作家であり太宰治の孫娘でもある石原燃さんが翻訳・執筆を手がけました。「天安門の母」を演じるのは女優の竹下景子さん、夫役は劇団Pカンパニー代表で大阪芸術大学舞台芸術学科教授の林次樹さんが務め、高い評価を得ています。2022年4月に東京で日本初演を迎えると、観客から好評を博し、その3年後の今年、全国20カ所以上での巡演が決定しました。中国では今なお語られることのない「天安門事件」というデリケートなテーマを扱った舞台劇が日本で繰り返し上演され、多くの関心を集めていることは、記憶の継承と表現の自由を守る上で重要な意味を持っています。
舞台「5月35日」における老夫婦の役を演じる俳優たち。天安門事件で息子を亡くした遺族の心情を描くシーン。
舞台「5月35日」は、香港の表現の自由が失われつつある状況において、日本が suppressed された物語に光を当てる重要な役割を担っています。この演劇は、天安門事件の犠牲者とその遺族の記憶を風化させず、世界に向けて語り続けるためのプラットフォームを提供しています。その上演は、歴史の真実を伝え、言論統制に抗う象徴的な意味を持ち、観客に深い問いかけを投げかけています。