松田学氏の思想変遷と「京都生まれ」が育む個性:参議院選挙後の深層分析

第27回参議院選挙が終わり、参政党と国民民主党の躍進、そして与党の過半数割れという結果は、日本の政治情勢に新たな一石を投じました。今回の選挙で特に注目される人物の一人に、参政党からの当選を果たし国政に復帰した松田学氏が挙げられます。2012年の初当選以来、二度目の国政復帰となる松田氏は、2020年4月の参政党結党から中心的な役割を担い、共同代表や代表を歴任してきた「参政党の重鎮」として知られています。

日本の岸田文雄首相の肖像。現在の日本の政治状況を象徴する一枚。日本の岸田文雄首相の肖像。現在の日本の政治状況を象徴する一枚。

筆者と松田学氏の長きにわたる交流

私と松田氏との縁は、かれこれ20年にも及びます。この関係は、昨年4月に逝去されたマッキンゼー元東京支社長、横山禎徳氏のご紹介がきっかけでした。当時、私たちの研究室は東京大学医科学研究所にあり、横山先生をお招きして月に一度開催していた勉強会に、松田氏も毎回のように参加されていました。彼は自らを「横山先生の弟子」と称し、その学びに対する真摯な姿勢は印象深いものでした。

2006年には、当時の参議院議員であった鈴木寛氏(現・東京大学公共政策大学院教授)らと共に、「現場からの医療改革推進協議会」を立ち上げました。その際、横山氏と松田氏には、発起人としてご協力いただきました。私は松田氏の人柄と見識を深く尊敬しており、彼もまた私を評価してくださっていたようです。新型コロナウイルスの流行後は、松田氏が主宰するYouTubeチャンネルで議論を交わす機会もありました。

元エリート官僚の経歴と近年の変化

松田氏は、県立千葉高校から東京大学経済学部を卒業し、旧大蔵省(現財務省)に入省した、まさに元エリート官僚です。過去の交流を通じて、私や横山氏とも気が合い、率直な議論ができる間柄でした。当時の松田氏は、現在一般に参政党に対して抱かれているような「過激な保守派」といった印象とは無縁であっただけに、近年の彼の言動の変化には、正直なところ少なからぬ驚きを抱いています。

出身地「京都」が育む個性の深層

私が松田氏の変遷を考察する上で特に注目するのは、彼が京都生まれであるという点です。そもそも「松田」という名字は西日本に多く、彼も元は関西の一族である可能性が高いと言えるでしょう。名字の分布に興味がある方には、「名字由来net」のようなサイトが参考になります。

私が人の出身地にこだわるのは、人格の多くが幼少期から高校生くらいまでの期間に形成されると考えているからです。この形成過程で最も大きな影響を与えるのは、家族と友人です。家族の価値観は、その地域の歴史や文化的背景に強く影響されます。例えば、東京人と大阪人に異なる印象を抱くのは、その象徴的な一例でしょう。友人の多くは学校で出会いますが、公立・私立を問わず、学校は創設者や地域社会の理念を反映しています。このように、生まれ育った土地の地域性は、各人の人格に少なからず深く刻み込まれているのです。

畿内地域に大藩が置かれなかった歴史的背景

関西、中でも畿内(京都、大阪、奈良に加え、兵庫県の阪神間を含むエリア)は、日本の中でも特に特異な歴史的背景を持つ地域です。この地域には、江戸時代を通じて大規模な大藩が置かれることはありませんでした。これは、徳川家康が、外様大名(徳川家に仕える前から独立した勢力だった大名)と京都の皇統(天皇の権威)、そして大坂の経済力が結びつくことを警戒したためとされています。

一方で、畿内の周辺には親藩(徳川家の血縁者)や譜代大名(徳川家に古くから仕える家臣)の有力な大名が配置されました。例えば、彦根の井伊家、紀州徳川家、姫路の酒井家(雅楽頭家は庄内藩左衛門尉家と並ぶ酒井宗家)などが挙げられます。これらの配置は、畿内を直接的な支配下には置かず、しかし周囲を固めるという巧妙な戦略でした。

畿内の教育が育んだ「関西人特有の気質」

私は、畿内に大藩が置かれなかったことが、この地域の教育を「独自」のものとし、ひいては関西人特有の気質を育んだと考えています。藩という強固な封建的枠組みが薄かった分、個人や商家の自由な精神、そして外部との交流を通じて培われた現実主義的な価値観が、人々の思考様式や行動原理に深く影響を与えたのではないでしょうか。松田氏の思想変遷を考える上で、こうした京都の歴史的・文化的背景が、彼の個性や政治思想の形成にどのような影響を与えているのかは、今後も注視すべき点と言えるでしょう。

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