石破政権誕生の鍵:保岡宏武氏が語る「20人目の推薦人」となった決断の舞台裏

昨年9月の自民党総裁選において、石破茂氏が首相の座を射止める上で、その立候補を可能にした20人目の推薦人の存在は極めて重要でした。当時、推薦人集めに苦心していた石破陣営にとって、その最後のピースとなったのが、衆議院議員の保岡宏武氏(52)です。本稿では、保岡氏がなぜその重大な役割を担うことになったのか、その経緯と現在の心境を深掘りします。

総裁選立候補への苦闘と保岡氏の登場

自民党総裁選に立候補するためには、国会議員20人からの推薦が必要です。昨年秋の総裁選で勝利を収めた石破茂首相ですが、実は推薦人集めは難航を極め、19人までは揃ったものの、あと1人の壁に直面していました。この窮地を救ったのが、当時自民党衆議院議員であった保岡宏武氏だったのです。保岡氏は、2017年の衆院選では鹿児島1区から出馬し落選しましたが、2021年10月の衆院選で比例九州ブロックから当選を果たした経緯があります。その保岡氏が、いかにして石破氏の20番目の推薦人となる決断を下したのか、その詳細に迫ります。

「不記載問題」への対峙:石破氏が掲げた改革の意思

保岡氏が石破氏の推薦人となった背景には、明確な理由がありました。石破陣営の幹部からは、「19人目までは集まったから、あんたが20番目に」と再三にわたり依頼を受けていたといいます。しかし、総裁選には直前まで11人もの候補者が名乗りを上げようとしており、保岡氏は他の8陣営からも推薦人依頼を受け、その全てに耳を傾けました。

特に印象的だったのは、石破氏との1時間にわたる面談でした。石破氏は保岡氏に対し、強い信念を語ったと保岡氏は振り返ります。「『不記載(裏金問題)のない議員たちで20人(の推薦人を)集めたい。それをもって、改革の意思にしたい』と、石破さんに口説かれました。その言葉に粋を感じ、私も同感でした」。この「不記載問題」への厳しい姿勢と、党の改革への強い意思が、保岡氏の心を強く動かしたのです。

自民党総裁選で石破茂首相の立候補を後押しした保岡宏武氏。自民党総裁選で石破茂首相の立候補を後押しした保岡宏武氏。

「自民党を変える」決断と若手議員の挑戦

他の総裁選候補予定者の話も聞き、2、3日熟考した保岡氏。推薦人になることは、万が一総裁選で敗北した場合、非主流派として扱われるリスクがあることも先輩議員から聞かされていました。しかし、最終的に保岡氏を動かしたのは、「石破さんなら若手を登用し、自民党が変わったという姿を見せる」という強い確信でした。国民もそれを期待していると感じたからです。

この決断は、若手議員としての大きな挑戦でもありました。保岡氏は当時の心境について、「他の陣営の選対の方々はやきもきされたと思うし、こんな生意気な1期生がいるのかと感じたかもしれません。最後は全員に『すいません、今回は石破さんの推薦人になります』とお伝えし、お詫びしました」と述べています。

この決断には、当時の岸田文雄前首相の発言も影響を与えていました。岸田氏は昨年8月14日の記者会見で、総裁選不出馬に際し、「自民党が変わる姿、新生自民党を国民の前にしっかりと示すことが必要。そのためには、透明で開かれた選挙、そして何よりも自由闊達(かったつ)な論戦が重要だ。自民党が変わることを示す最も分かりやすい最初の一歩は、私が身を引くことだ」と語り、党改革の必要性を強く訴えていました。

結び

保岡宏武氏の「20人目の推薦人」という決断は、単なる形式的な行為にとどまらず、自民党の内部が抱える課題、特に「裏金問題」に対する改革の意思を象徴するものでした。この一人の若手議員の勇気ある行動が、石破政権誕生という歴史的な転換点において、不可欠な役割を果たしたことは間違いありません。保岡氏の決断は、今後の自民党、ひいては日本政治のあり方を考える上で、重要な示唆を与えています。