快適な暮らし、美味しい食事、そして豊かな収入。多くの人々が理想とするこれらの条件を満たしているにもかかわらず、なぜ私たちは幸福を実感できないのでしょうか?この現代社会に特有の「満たされない」感覚は、遺伝子レベルで私たちに刻まれたある本能に深く根ざしていると指摘されています。生物学的観点から、この幸福のパラドックスの核心に迫ります。
現代を生きる私たちが直面するこの複雑な感情は、「より良いもの」を絶えず求める人間の本能と、快楽に魅せられる脳の仕組みによって引き起こされている可能性があります。本稿では、私たちが本来持っていた「幸せ」の形と、進化の過程でどのようにその認識が変化してきたのかを紐解き、なぜ物質的な豊かさが増すほど、精神的な充足感が得にくくなるのかを解説します。この根源的な問いを通して、現代社会における幸福のあり方について考察を深めます。
動物たちの「幸せ」と生存本能の根源
人間が「幸せ」をどのように捉え、死からの距離を広げてきたのかを考える上で、まずは他の動物たち、特に近縁種であるチンパンジーやゴリラと比較してみましょう。彼らの行動の大部分は、生存本能と生殖本能という「幸せ」の原動力によって突き動かされています。
たとえば、哺乳動物に広く見られる「じゃれあい」や「スキンシップ」は、人間と同様に楽しそうで、幸せそうに見えます。もちろん彼らが実際に楽しんでいる可能性は高いですが、これらの行動には、お互いに危害を加えないことを確認し、緊張感を緩和したり、信頼関係を構築したりする役割もあります。結果として、これは集団内の安全を高め、死からの距離を大きくすることに貢献しているのです。
人類にとっての身体的な「幸せ」、つまり身体的な死からの距離を最大限に大きくする方法は、極めてシンプルです。きちんと食べ、しっかりと眠り、スムーズに排泄する、といった健康的な生活を送ること。これらは当たり前すぎて見過ごされがちですが、災害時などにそのどれか一つでも欠けると、途端に死の恐怖が押し寄せ、幸福感が激減するのを私たちは経験的に知っています。
しかし、現代の先進国に暮らす多くの人々にとって、必要最低限の衣・食・住だけではもはや十分ではありません。
現代社会で幸福感を感じにくい人々の心情を表すイメージ。豊かな生活の中でも満たされない感情を抱える様子。
現代社会が求める「より良いもの」への欲望
現代人、特に先進国に住む私たちは、食一つとっても、単に空腹を満たせれば良いというレベルでは満足できません。「美味しいもの」、できれば「お酒」もあればなお良い、といった具合です。睡眠に関しても、ふかふかで清潔感あふれる寝心地の良いベッドで、夏はクーラー、冬は暖房の効いた快適な部屋での休息を求めます。排泄の場も、清潔でプライバシーが守られ、さらに温水洗浄便座付きでなければ不満を感じるでしょう。
このように、私たちの生活は常に「より快適に」「より良く」という基準で満たされていなければ、満足感が得られないのです。特に食事においては、ただ食べられれば良いというレベルの食事では幸福感を味わえないどころか、かえって不幸な気持ちになることさえあります。だからこそ、私たちは美味しいラーメン屋に長時間並ぶことも厭わないのです。この「より良いもの」(better)を求める志向こそが、現代人の幸福感を形成する上で重要な要素となっています。
「ベター志向」の本能と快楽の中毒性
生物学的に見ると、この「ベター志向」は私たちの本能そのものです。人間は常に何かを創造し、新しいものを生み出す動物であり、この創造性は遺伝子に深く刻み込まれています。そして、「食べること」は本質的に快楽を伴います。これは他の動物も同様です。栄養価の高い食べ物ほどより美味しく感じられ、その快楽は増幅されます。この快楽は、脳内の「報酬系」と呼ばれる神経伝達物質の分泌を促し、「また食べたい」というモチベーションを掻き立てるのです。
つまり、快楽は生存本能(生きようとする衝動)を実行するための強力なサポーターとして機能しています。しかし、死からの距離を保つという観点では、「幸せ」の本質は栄養を摂取することにあります。お腹が満たされれば、何を食べても基本的に同じはずです。にもかかわらず、様々なものを作り出す知性と創造性を手に入れた人間は、いつしかこの「ご褒美」である快楽そのものを重視する方向に傾いていきました。
問題は、快楽には強い中毒性があることです。中毒は理性を麻痺させ、結果的に死からの距離を逆に縮めてしまう危険性をはらんでいます。言わば、人間は快楽中毒に陥り、自ら幸福のハードルを際限なく上げてしまった結果、かえって「幸せ」を感じにくい生き物になってしまったのです。人間の創造性は、飽きっぽい性格の裏返しでもあり、現状にすぐに物足りなさを感じてしまうという側面も持っています。
結論:進化の代償としての幸福のパラドックス
現代人が「幸福なのに満たされない」という状況は、単なる精神的な問題ではなく、私たちに深く根ざした生物学的本能、特に「より良いもの」を求める「ベター志向」と、それによって誘発される快楽の中毒性が複雑に絡み合った結果であると言えるでしょう。生存本能を支えるはずの快楽が、知性と創造性によって過剰に追求されることで、私たちは自らの幸福の基準を無限に引き上げてしまい、結果として常に満たされない感覚に囚われることになりました。
この「快楽中毒」と「飽きっぽさ」は、人類が進化の過程で得た知性と創造性の、ある種の代償なのかもしれません。現代社会を生きる私たちは、この本能的なメカニズムを理解し、真の満足とは何か、本質的な幸福とは何かを再定義する必要に迫られているのではないでしょうか。
参考文献:
- 小林武彦『なぜヒトだけが幸せになれないのか』(講談社)より一部抜粋・編集